2006-05-23 [長年日記]
■保険≒博打
カミさんが保険の見直しを奨められている。
「見直しを奨められる度に思うんだけど、なんか騙されてるような感じがするんだよねぇ」
「……どういう意味?」
「なんかギャンブルみたいな気がして。なんか損してるだけなんじゃないかって」
「だってギャンブルそのものじゃん。胴元が保険会社で」
「まぁ、それは分かるんだけど」
「テラ銭*1を持っていくから期待値としては損するようになってるの。宝くじだって競馬だってそうでしょ?」
「うん」
「賭けとして五分五分の勝負ができても損するようになってるんだから。そう思っていたから、今まで掛け捨てにしてきたんじゃないか」
てなもんで。MASTERキートンからのネタでもある。
追記
あ、対話文には50%ほどの創作が混じっていますので。
■CSS font-family の指定をキャンセルしたいのだけど
より上層で指定された font-family の指定(特にフォント名直書き)を解除したいのだけどどうすればいいだろう?
font-family : serif;
って書いておけばいいのだろうか……?
■文章を書くことから
常日頃から、というほどではないものの、"文章を書きたい"という欲求が確かにある。今書いているこの文自体、その欲求からでてきているものなわけだ。
それは本を読むのが好きなことと無関係ではないだろう。
私の「本を読むのが好き」と、カミさんの「本を読むのが好き」は結構異なっている。
カミさんの言うところの"本"とは実は"物語"のことで、雑誌新聞は読まないし"物語性が薄い小説"は好まない。例えば、などと例を持ち出すとあれなんで、ショートショートから短篇程度の長さのアンソロジーなどは好みではないらしい。
私の言う"本"はもう少し広い(客観的な観察ができないので「広い」とだけ書いておこう)。
で、私が書きたいと思っている文章も、物語から論理的な話まで、はたまたこんな駄文まで、色々と発散して指向性が無い。
この"指向性の無さ"自体が、自分の特性の様な気がするのだよなぁ。
■世にも怪奇な物語
傑作の誉れ高いものの、日本ではあまり知られていないような?
これはまた……思っていた以上の出来だなぁ。
3篇のオムニバス形式だけど、どれも皆趣向が違う。しかし……豪勢な配役ですこと。
1本目。「黒馬の哭く館」はまさにエドガー・アラン・ポーの雰囲気たっぷり(と私は思った)。詩的な映画。あまり直截的な描写が無いからか。主人公が自分を振った男を――意図していなかったとはいえ――殺してしまい、その事実に囚われて自分で自分を呪う……とでも言えばいいか? 解釈としては男の霊が彼女を霧の中――死の世界に連れていった、としてもいいけど。この一編はもう少し長尺の方がいいかなぁ、と思った。
2本目、「影を殺した男」。えーと邦題がいまいちか? 悪事を重ねる主人公と、彼を邪魔し続ける自分に瓜二つの同じ名の男。ついには怒り、殺してしまうのだが……。というその直後が"オチ"で、あぁ! そうなるんだ! と膝を打ってしまう。そういう意味ではミステリィに近いか。
3本目、大御所フェデリコ・フェリーニ監督「悪魔の首飾り」。"少女が美しくも恐ろしい"。あるいは"恐ろしさを感じさせるほど美しい"か? 何も言うことはありません。幻想的ともいえる映像は圧倒的だけど、それさえも霞むほどの彼女の存在感。
4コマ漫画家の秋月りすさんがエッセイ4コマで、この映画(の少女)を絶賛していたように記憶しているのだけど……、さて単行本だったか雑誌の特別号だったか? そのあたりの記憶が曖昧。
6月に廉価版のDVDが出るらしい(ちょっと悲しい)。タイトルしか分からないので本当に同じものなのかというのはあるけど、まさかこれと同じタイトルの別映画ってことはないだろうな。
追記
あ、AWSからのデータには出演者入っているや。
*1 ATOKで変換したら、さすがと言おうか「寺銭」が出てくるのね。なんとなくカタカナの方が好みでそう書かなかったけど。