過去の日記

2006-05-12 [長年日記]

科学的,非科学的,オカルト [徒然][novel]

昨日のエントリからの続き、でもある。

p170

「ねえ、そうでしょう?」と顔もあげずに胡桃沢さん。「占いなんてありえない、そのありえないものを昔の人は平気で信じてた、なんてこと自体が実はありなかったのね?」
「まあね」と太一郎は答えた。「僕の伯父さん言ってたんだけどさ。昔の人間はこんなバカなことを本気で信じてたんだなあ、と思いながら歴史の本を書いてる者たちほどバカな人間はいないって。自分の先祖を敬うことをしないまま、歴史が好きだなんて言える神経がわからないって。僕もそう思うな。だって製鉄法を見つけ出したのは古代人なんだよ。耐震設計で五重塔を建築したのも古代人、蚕の繭から絹糸を作り出したのも古代人だし、動植物の色素から染色法を発明したのも古代人だ。昔の人をバカにしたいなら、この内の一つでも資料なしの自力だけで発明してみろってば。今だろうが昔だろうが、技術は技術でオカルトはオカルトだよ。変なものを信じちゃう人はいつの時代にも大勢いるけどね」
「本当にそうだわ。まったくそのとおり」胡桃沢さんはまたも重い溜め息を一つ。「あたしは間違ってた。古語で言う<占い>は、現代語で言う<占い>とは違う意味だったんだわ。なのにあたしは<現代語の占い>を<古語の占い>にあてはめて、そんなものはありえないって勝手に思いこんでただけなのね」


p157〜158

「(略)試しに乾為天の卦辞をみてごらん。(略)」
探しあてて胡桃沢さんは読みあげた。「乾は、元いに亨りて貞しきに利ろし」
「そうさ」と太一郎。「元亨利貞。ただそれだけだ。乾は健全の意味。心身が健全であれば必然的に正しい行動をとるから万事良し。(略)外卦が坤で内卦が乾なら地天泰。泰は天下泰平の意味だよ。それが引っ繰り返れば天地否だ。すべての爻で陽と陰が入れ換わった時、正反対の意味になることが多いって言ったでしょ? (略)人間としての正しい行動を理解してない愚か者たちが、世の中を目茶苦茶にしてしまう。泰の最も遠い裏側に位置づけられてるのが否。わかる? 平和の反対は暴力じゃなくて、無知なんだよ。これが『易経』の教えなのさ」


「科学の確からしさってのは、正しい/間違っているの二分法で簡単に決められるものじゃないよね。誰かが唱えた説は、他の人の実験、他の人が唱えた周辺の理論、そういった様々なものが積み重ねられていって、"確からしい","正しいらしい"と認識されるんだ。ここまではいい?」
「いいわよ。そのプロセスそのものが『科学的』っていうことでしょう? そのプロセスを踏まないで正しいと主張するのが『本来の意味での非科学』であり『ニセ科学』でもあるわけね」
「そう。そしてさ、『非科学的』って言葉は、その辺を判らないで使われることが多いんだよね。そういう人ほど『非科学的』っていう言葉を『オカルト』と同じに使いたがるんだ。ところがそう人が言う『オカルト』っていう言葉もさ……」
とそこで遮って、次を続ける。
「実は『本来の意味でのオカルト』じゃないって話ね」
その言葉に"そうそうその通り"とでもいいたげな満足な表情になる。
「『非科学的』と『オカルト』を等号で結んで使っているのに、その『非科学的』と『オカルト』は、『間違った非科学的』と『間違ったオカルト』なわけだ。間違ったものと間違ったものを、等号で結んじゃうからそれが間違っているってことには永遠に気がつかないってことなのね?」
「OK。もうちょっと言うと"科学的に正しい"ってのは、幾重もの追実験や周りの理論から"確からしい"と認識される、ってことだったよね。ところが『ニセ科学』はそれを無視して――というかすっ飛ばして、"正しい"と主張するんだ。"正しいらしい"と主張する『科学』と、"正しい"と主張する『ニセ科学』、という図式がそこには存在する。『科学的』ということを誤解する人にとって、明確で判りやすいのは後者の方なんだよね」
「あぁ! そうね。まったくその通りだわ」


引用は、

陰陽師は式神を使わない (集英社スーパーダッシュ文庫)

  • 作者: 藤原 京
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売: 2006-01-25
  • ASIN: 4086302772
  • メディア: 文庫
  • amazon.co.jp詳細へ

から。
その後の文は私の創作ですが、2006年5月号の月刊ASCII誌の記事「教育現場にニセ科学を持ち込むな」を参考にしました。
なんか論旨に間違いがあるような気もするのですが、今のところ冷静に読み返せません。ならあるていど寝かせてから書け、と言われそうですが……。


念のための追記 2006/5/13
私の創作部分は、太一郎君と胡桃沢さんの語り口だけを真似てみたもので、キャラクターとしては――当然ながら――太一郎君と胡桃沢さんを想定していません。

可能無限再び [book]

無限論の教室 (講談社現代新書)

  • 作者: 野矢 茂樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売: 1998-09-18
  • ASIN: 4061494201
  • メディア: 新書
  • amazon.co.jp詳細へ

が届いた。パラパラとめくってみる。


p33

無限のものがそこにあるのだと考える立場から捉えられた無限は『実無限』と呼ばれ、可能性としてのみ考えられるとされる無限は『可能無限』と呼ばれます。

と、「呼ばれます」と断定口調で、登場人物であるところのタジマ先生は語る。
前も書いたが、それならばなぜ、All The Web で、1998年8月31日以前を対象に"可能無限"を検索した結果、

AlltheWeb.com: Web results for ""可能無限""

が、0件になるのか? 不自然ではないか?


1998年9月1日以降を対象として"可能無限"を検索した結果、

AlltheWeb.com: Web results for ""可能無限""

はそれなりの件数を出す。
この本が出る以前から、本当に「実無限」,「可能無限」と呼ばれていたのか? 呼ばれていなかったとすれば、例え登場人物が語る言葉であろうとも「呼ばれます」と断定口調で語るのはおかしいのではないか。


可能無限にまつわる話は、

可能無限 最後に

が最後(じゃないけどまぁいいや)。

偶然か? [徒然]

先の2つのエントリが今日書いたのは偶然。
陰陽師は式神を使わない (集英社スーパーダッシュ文庫)(藤原 京/藤城 陽) の再読のタイミング。
街を歩いていて、このネタが太一郎君と胡桃沢さんの会話っぽいやりとりという形で降っておりてきたのが今日だというタイミング。
無限論の教室 (講談社現代新書)(野矢 茂樹) を頼んだのは、欲しかった本と一緒に買って1,500円を超える本でカートにとりあえず放り込んでおいたものの中からたまたま選んだだけ。
それが今日届いたのもこちらの意図していなかったタイミング。


その割りにはうまく符合しているなぁ。
無限論の教室 (講談社現代新書)(野矢 茂樹) のカスタマーレビューに、

筆者が哲学者ゆえ、数学者は本書を足蹴にしているようだが、

ってあったけど、上に書いたとおり、科学的な手順を無視しているためなんだろうなぁ、そうなると2つのエントリが並んでいるのは偶然の積み重ねなのに面白いなぁ、と今思う。

PS3のコントローラ [game]

へ〜。傾きコントローラか加速度コントローラ(の両方か後者だけか)を付けたんだ。