2006-05-09 [長年日記]
■論理学の初歩
もし私があなただったら、○○するだろう
これは必ず真になる。
論理学の初歩。AならばB の形の命題を考える。A が偽であるならば、この形の命題は常に真になる――あるいは、真とする。なぜそうなのかは、対偶を想像してみるといい。
てなわけで、最初の文は前提が必ず偽なので命題全体は「○○」がどんなに無茶なものであっても真になる。この様な言い方をする人は(本人が意識しているかどうかにかかっているが)詭弁を弄する類の人かもしれない。
もし私があなたの立場だったら、○○するだろう
こうならば問題ない(かもしれない)。この前提は発言の時点では偽なのだろうが、いずれ――もしくは、かつて――真となるかもしれない。その時には「○○」をしてくれることを期待していいかも。
まぁ、もっとも、肝心の命題が未来に渡って真であると発言者が保証しているわけではないのだけど。
■1=0
1=0を証明しよう。
\(X=1\)
とする
両辺にXをかけると、\(X^2=X\)
両辺から1を引くと \(X^2-1=X-1\)
因数分解して \((X+1)(X-1)=X-1\)
両辺を\(X-1\)
で割ると、\(X+1=1\)
移項して、\(X=1-1=0\)
仮定により、\(X=1\)
なので、\(X=1=0\)
。すなわち\(1=0\)
Q.E.D.
この手の話が好きな人には馴染みの問題だ。
で、「僕」が、0割りの問題が発生しそうだな、と思ったことに対してミルカさんが、
関数を使って見つけたことは内緒にしておいて、出てきた一般項を数学的帰納法で証明しちゃえばいいんだから
と「すました顔で」言うシーンがある。
0割りを許すと変な証明がいくらでもできる、と、これはそういう話。
■レベルが違う、ということ
「レベルが違う」という表現。
言った人、対象としたもの、文脈、そういったもので意味が変わる。
私はたいていこの表現――あるいはレベルという概念――を不連続なものと認識する。
ハードウェアに近い方が低レベル、ユーザに近い方が高レベル。
ネットワークのOSI階層。
まぁ、そんなアナロジー。
同じ存在が、別のレベルに移行することは、できない。
ドラゴンボールのキャラクターがよく口にしていた。「レベルが違いすぎる」
ロールプレイングゲームに出てきた。「レベル1の戦士は古強者ね」
これは、しかし連続している。
同じ存在がいつかは上のレベルへと移行する。その同じ存在のままで。
さて、前者の概念にあたる日本語はあるのだろうか?
わりと好きなのはパタリロに出てきた「階梯」という言葉。
例によって手許にないので正確に引用できないが、「お前も第3階梯の能力者か!」てな感じの台詞があったと思う。
"日常的に使わない"というただそれだけの理由で気に入っているのだけど、これは単に「階段」,「梯子」と同じ言葉だ(感じを見ればすぐ判る)。
さて、何かいい言葉はあるだろうか。
追記 13:50
レイヤ(layer)がいいかも、と思った。フォトレタッチの用語とかぶってしまうが。
というか、ネットワークのOSI階層では level じゃなくて layer だっけっか?
■ネット依存症?
日がな一日Webを見ているというわけではないけれど、PCが立ち上がっていてブラウザが表にある状態でないと落ち着かない。
本を読んだり、DVDを観たりはしているわけだが……、これは軽いネット依存症?
■本日の自己言及的文
この文を見た人は誰もいない
さて、"この文"はパラドックスだろうか?
実はこれはパラドックスではない。ただ"偽である"というだけの文だ。
で、上に書いた"この文"は、確かに偽である。私が見ているし、多分あなたも見てしまっているはずだ。
けれど、"この文"は必ず偽になるわけではない。
私が目を瞑って"この文"を紙に書いて、そのまま丸めてゴミとして捨てる。そうやって書いた"この文"は命題として真になる。偽にならない。
"この文"は"論理として必然的に偽になる"のではなくて、記述し公開するという行為によって"偽になる状況を作り上げる"文なのだ。
……ところで。このエントリに書かれた"この文"という表記は、それぞれが別のものを示しているわけで、頭がこんがらがるなぁ(と書いた"この文"の中に出てくる赤い色をつけた"この文"という表記もまた、他の"この文"とは別のものだし、この括弧の中の"この文"という表記ともまた別のもの)。
さて一体どの文が"本日の自己言及的文"だったのだろうか? と考えたら頭が痛くなった。
■(Web2.0) = (マルチメディア)
Web2.0のことって書いたことあったっけ? ロングテールとWeb進化論とを絡めて書いたことがあるけど。
ま、いいや。
Web2.0ってマルチメディアと同じなんだろう。
それが顕われた時にはそれについて多く語られ、それについて語られなくなった時にはそれは当たり前になっている。