2005-11-07 PS版 serial experiments lain, 無限集合のべき集合 [長年日記]
■無限集合のべき集合の落とし穴
数式を書きたいのでトラックバックで。
1. 素数の集合をAとする。
A = {2, 3, 5, ...}
2. Aの冪集合をBとする。
B = {φ, {2}, {3}, {2, 3}, {5}, {2, 5}, {3, 5}, {2, 3, 5}, ...}
3. Bの各元について、含まれる数の積に置換した集合をCとする(ただしφは1とする)
C = {1, 2, 3, 6, 5, 10, 15, 30, ...}T-pon’s 一日一文Palm日記 with T|T5
さて、A, B, Cの濃度に注目する。
A は自然数の無限部分集合である(∵素数は無限に存在する)。従って濃度は\(\aleph_{0}\)
Bは濃度\(\aleph_{0}\) の無限集合の冪集合であるから濃度は\(\aleph_{1}\)
Cは自然数の無限部分集合であり\(\aleph_{0}\) の濃度を持つ。しかし一方で、濃度\(\aleph_{1}\) であるBの元と全単射の関係にある(∵Cの各元はBの各元から作られており、またCの各元に重複はない)。
いい問題ですね。面白いです。
Cは自然数の無限部分集合ではない、あるいは、Cという集合は作れない、が答えです。
Aは可算無限集合なので、元を\(a_{1},~a_{2},~a_{3},~a_{4},~a_{n},,,\)
としましょう。
BがAのべき集合なので、その元には\(\{a_{1},~a_{2},~a_{3},~a_{4},~a_{n},,,\}\)
という、Aに等しい(つまりAの全ての元を含む)無限集合が存在するのです。
なので、Cには\(\displaystyle~\prod_{n=1}^{\infty}~a_{n}\)
が*1含まれます。もちろん、\(\displaystyle~\prod_{n=2}^{\infty}~a_{n}\)
や\(\displaystyle~\prod_{n=3}^{\infty}~a_{n}\)
なんかも含まれます。これらはパラメータnが無限大に発散している*2ことから、自然数ではありません*3。なので、自然数の集合からCへの単射は作れない、というのが基本的な考え方です。(\(\prod\)
は積の記号。\(\sum\)
のかけ算バージョンとでもいいましょうか。)
厳密な公理的集合論は専門外なので、「Cは自然数の無限部分集合ではない」と「Cという集合は作れない」のどちらが正解なのかは判らないのですが。
でも無限集合のべき集合というシロモノの想像のしにくさ、みたいなものを実感できるいい問題だと思います。
結構な時間、堪能させていただきました。
追記:"無限集合のべき集合には、無限集合が元として顕われてくる"ということを忘れています。と表現すれば良かったのだな、と今は思っています。
関連のエントリ
prima materia diary - Q.E.D カントール デデキント ゲーデル そして ミネルヴァの梟
prima materia - diary : カントールの連続体仮説と無限集合のお話
■PS版 serial experiments lain
(攻略に関する情報はずっと下の方です)
傑作にして唯一無二,空前絶後の"ゲーム"である。
あえて、ゲームと言い切ってしまう。
主な登場人物は2人。
岩倉玲音(れいん) TVアニメ版の主人公と同じ名前・容姿の女の子。
米良柊子(とうこ) 玲音のカウンセラ。と同時に精神科医でもある。
円筒形のフィールド内に散りばめられたデータブロックを選択すると、コンテンツが開ける。ほとんどは音声で、ムービーは少なめ。ゲーム開始時点では登場しないブロックもあれば、選択しても開けないブロックもある。特定のブロックを開くことで、開けるコンテンツが増える。エンディング後にcontinueを選ぶことで開けるコンテンツが増える。
ただ、それだけ。むしろインタラクティブコンテンツって言った方がいいかもしれない。が、あえてゲームと言い切ってしまう。
このゲーム、何が凄いかというと、ストーリーがない。
いや、そんなの他にもあるじゃないかと思うかもしれない。
何が唯一無二かというと、ストーリーがないにも関わらずゲームをプレイしているこちら側はそこにストーリーを見出してしまうこと。
例えて言うと、
こんな感じ。
3つの扇形と3つのくさび形があるだけ。でも人はそこに正位置に置かれた正三角形を見出してしまう。
そこにあるのは、岩倉玲音と米良柊子にまつわるカウンセリング記録と、カウンセリングカルテと、2人の日記。
全ては断片の情報で、それを矛盾無く正しく繋ぐストーリーという糸は存在しない。けど矛盾した状態で断片を心にしまいこめる度量もない。だから仕方なく断片を繋ぎ合わせてストーリーの雌型を作らざるをえない。それは、ストーリーの雌型であってストーリーそのものではない。だけど──それが正しいストーリーの形ではないと知りつつも──雌型を作ってストーリーを想像せずにはいられない。
困ってしまうのは、データを開けば開くほどに作った雌型が間違っていることを気が付かされること。その都度に雌型の細部を直さないといけない。エンディングを見た後にまた最初に戻って断片を開き始める。すると──、自分の作った雌型にうまく嵌ってくれないことに気が付かされる。
だから、やればやるほどに、細部は明瞭になっていくのに、全体は曖昧になっていく。
画面を通して、玲音と柊子の立場が徐々に逆転していく様を見る。玲音と柊子の存在の境界が揺らいでいく様を見る。
何度かエンディングを見た後に出てくるデータブロック。それを開くと、画面の中の玲音が囁く──自分だけは知っているよね? 自分が何をしたか と。
あるいは、柊子が自分の日記にこう綴る──この日記を読みたがっているのはだれ? と。
そんな時、"自分の中に作った玲音と柊子の物語(の雌型)"が自分を呑み込んで、自分と玲音と柊子の存在の境界が揺らぎつつあることに気が付く。
背筋がゾッとする一瞬が、そこにある。
(などと書くと妄想めいた話に見えるかもしれないが、そうではなくて、「『彼女たちの物語』を他の誰かと共有することが難しい。『彼女たち』と『彼女たちの物語』はゲームのあちら側ではなくてこちら側——つまり自分の中にしか存在しない」という事を、不意に気づかされる。というぐらいの意味)
カスタマーレビューを読んで是非プレイしたくなったのです。
玲音が囁く。
自分の姿なんて幻想? それとも現象?
後は余談。
柊子さんの漢字。"とうこ"と読ませているけど、これは"しゅうこ"と読むのが正しい。藤臣柊子先生を10年近く"とうこ"と読んでいたのに、実は"しゅうこ"だと気が付いた時のショックは忘れられない。さて、この読み方の間違いは意図的なものか否か? と考えてみると楽し。
途中で玲音がAI(らしきもの)をプログラミングしている時の画面。たいていこういう場合C言語やBASICっぽいソースが書かれるものなのに、このゲームはなにやらLISPらしいプログラムソース。"細かいっ!"と思ってしまった。
ムービーの話。断片を見ていた時はつながっている様に見えた物が、(エンディングで)つなぎあわせて見せられると、実はつながっていなくて、それぞれが断片にしか見えないという不思議。面白かった。(追記)そう。この部分こそがこのゲームの本質を的確に表明しているんじゃないかと、今はそう思ったりもする。
追記:
操作性の話。わざとやっているんじゃないかと確信してしまうほど、操作性が悪い──様に感じてしまう。カーソルの移動法則や、キー入力を受け付け始めるタイミングを覚えるまでは実にイライラさせられる。が、簡単に操作できてホイホイっとデータブロックを回収できちゃったら、きっとプレイ感が変わってしまっていただろうな、とも感じるのだ。見たもの、聴いたものを消化するまでの"間"をわざと作っているのだろう。多分。
結末の話。"全く救いがない"という形容をネット上でちらほらと見たけど、全然そうは思わなかった。異形コレクションとかで救いがない終わり方に変な免疫がついているのかな?
追記:2005/11/10
全部のデータブロックを見終えた。
邪道とは知りつつも、この混沌に満ちたゲームに解釈を与えて、一つのストーリーとして語ることができるものかどうか、その検討に入るつもり(でも途中で投げ出すかも)。
やっぱりこれは邪道だと思うのでやめた。今自分の中で構築している仮説を基にしたこのゲームの解釈はそのうち記すことにしよう。(追記:結局記してません)
シナリオ集「lain―scenario experiments(小中 千昭)
こうやって読み返してみるとちと褒め過ぎか? という気もするが、けれども SCENARIO EXPERIMENTS lain を読み終わりそれを受けてアニメ版を見直している今、PS版lainに「単一の物語という解釈」を与えられるだろうか? という欲求が再びでてきているのもまた事実。
SCENARIO EXPERIMENTS lain では、アニメ版の脚本に加えて、小中千昭氏(アニメ版lainの脚本家)自身による多くの注釈を読むことができる。ごくわずかではあるがPS版lainからのインスパイアなども記されている。
興味深いのは、アニメ版lainでも、時制の混乱を意図的に加えていると記されていること。
PS版lainに単一の物語を与えようと試みるにあたり、私がまず考えていたのもこの点である。
特に説明はしていなかったが、円筒形のフィールド上のデータは(最後の方に現れるダイアローグのデータを別にすると)一見して時系列に並んでいる様に見える。
けれども、明らかにそれに従っていないデータが存在する。また、データに附与された番号が必ず時系列に沿って付けられているという保証はどこにも無い。
ということで、パッと見でこういう順番なんだろうと想像してしまうデータの中に、実は時制が反転したデータが紛れ込んでいるのではないか? 実は逆向きに並べると別の意味を持つであろうデータ群(精確には別の意味を持たせることができるデータ群、と言うべきだろうが)の存在を空想した。
そんな感じで「自分で納得がいく解釈を作れるかどうか?」というのが残された宿題でもあるのだがそれはとてもやっかいで時間がかかる──そして、本当にそうする価値があるのかどうかという疑問を拭えない──作業であり、実際のところ取りかかろうとさえしていない。
そういう意味で、このPS版lainはすでに長いことプレイしていないにもかかわらず、未だ気持ちの中では終われずにいるという、そんなゲーム。
……さて、SCENARIO EXPERIMENTS lainに出てくる小中千昭氏の興味深い注釈を一つ挙げてこの追記を終えるとしましょうか。
サイコドラマ
ドラマの種類ではなく、精神療法のひとつでこういうものがある。担当医師と患者が互いの立場を入れ替え、あるいは患者同士が入れ替わり、互いの考えを自らのように想像し、話すことで理解を深めるというもの。
追記(2007/4/29)
最近のオークションでの高騰ぶりは目をみはるばかりではあるが、けれども、それなりに納得できる事象ではある。
上の方で「救いがない結末」に絡めて異形コレクションを引き合いにだしたが、同じく井上雅彦が編んだ本に、
がある。
PS版lainはまさしく「魔の物語の魔」が棲んでいるゲームなのだった。
名前《シニフィアン》のみが残り、内容《シニフィエ》が失われた物語。
──いや違うか。名前《シニフィアン》と内容《シニフィエ》のみあって、物語を内包しないゲーム、か。
誰一人としてこのゲームの「完全な姿」を語ることを得ず、それゆえに名前《シニフィアン》のみが広く語られることとなり、内容《シニフィエ》を知りたければゲームをプレイするしかない。
とまぁ、そういうことなのだろう。
「それなりに納得できる事象」というのはそういう意味だ。
だからこそ最初に、「ゲームと言い切って」しまったのだったな。
他のコンテンツには真似のできない魔が、そこに、棲んでいる。
(追記)
攻略法というか、コンテンツを効率よく見る手順。
SiteA の SSkn (コンテンツプレイヤーのUpgrade)
- lv4
- lv6
- lv11
- lv17
GaTE (Site B/2枚目のディスク へのパス)
- lv4
- lv6
- lv8
- lv17
まずこれらを回収し Site B へ行く(Selectキーでメニューを出してディスクをチェンジする)
SiteB の SSkn
- lv4
- lv7
これでコンテンツを開けられるか開けられないかを決める条件がクリア回数だけになるので、あとは好きな順番にでも根気よく見ること。
クリア回数というのは、エンディングムービーを見た回数のこと。
エンディングムービーの再生につながるコンテンツは、SiteBの
- Tda092 lv12
- Cou053 lv12
- Dia048 lv12
- Lda237 lv13
の4つ。
エンディングムービーといっても、本編とは全く別なムービーが存在するわけではない。
ゲームの中で時折再生されるムービーが、エンディングムービーの欠片なのだ。
エンディングムービーはその欠片が連続で再生される。それらの中で、まだ見ていない(=一度も再生していない)部分はノイズ状態になる。
先に書いたように、一定以上のクリア回数を満たさないと見られないコンテンツがあるから、完全なエンディングムービーを見るためにはノイズが混じっているエンディングムービーを数回は見なければならない。
うまい作りだなぁ。
特に注意する必要があるのは、何も操作せずに放っておくことで見られるコンテンツがあること。それらもエンディングムービーのコンプリートには必要だ。
多くは止め絵に台詞なのだけどまれに流れるムービーが、エンディングムービーの欠片なのだ。
後はご随意に。
自分だけの物語をお楽しみください……。
おまけ