2005-11-23 [長年日記]
■喩えで話をするのは危険とは思うけど
あまり適当でない喩え。
英語の中のアルファベットの出現頻度が判っているから英語らしいアルファベットの並びを生成できる。あるいは日本語における母音調和が判っているから日本語らしい音素の並びを生成できる。だからといってそれが英語としてあるいは日本語として意味を持つとは限らない。
ちょっとは適当な気がする喩え。
バッハの音楽を表現可能なオートマトンができたとしても、そのオートマトンが生成する音楽は全てが「バッハの様である」かもしれないが、全てが「バッハの音楽の様に素晴しい」とは限らない。
かしら。
(追記)
プログラミング言語の文法に則った(つまりコンパイルが通る)ソースが、正しく実行できるプログラムであるとは限らない。
なんてのもいいかも。
バッハが数学的だとしたら、その手法を使えばどんな人でもバッハのような曲が作れるはずなのに、世の誰もそうしようとしていないのはなぜなのだろう
あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
バッハの作った曲が数学的だからといって、バッハの曲の作り方が数学的に明示されているわけではないからではないでしょうか。
結城浩のはてな日記