2005-11-21 ほとんど起こることが無い事象のリスク/メリットを取る心理, 神在月 [長年日記]
■神在月ねぇ……
徒然草 第二百二段
十月じふぐわつを神無月かみなづきと言ひて、神ことじんじに憚るべきよしは、記したる物なし。本文もとふみも見えず
(略)
この月、万の神達、太神宮だいじんぐうに集り給ふなど言ふ説あれども、その本説ほんぜつなし。
http://www.asahi-net.or.jp/~aq3a-imi/syoko/koten/kenko/turezure/202dan.html
鎌倉時代、兼好の「十月を神無月と言って、神事を敬遠しなければならないという理由については、記したる物なし」「万の神達、太神宮(出雲太神宮のことだろう)に集まり給うなどと言う説があるけれども、その根本となる説はない」と言葉が残っているのだけどね。
神在月。
実は旧暦で、神様が集うのをご存知ですか?毎年、日にちが変わるのですが
玩具博物館併設・出雲そば 日本一大名陣: 神在月です、11月21日。
今年は、本日19時に全国の八百万〔やおよろず〕の神が
出雲に集まるとされています。
8時間かけて出雲大社へ。
ぴんきーのさすらい日記・純情派:出雲・砂丘に行ってきました!
神在月な割りには渋滞もなく
普通に駐車場に入れた。
う〜ん・・・・・・。
自分が思っているほど神在月は有名ぢゃないのか??
お話ししたいのは「神無月」のこと。古くから我が国では、陰暦十月を「神無月」と言ってきました。こどもの頃から、「この月には全国の神々が出雲国に全員集合で、諸国の社を留守にされるから」と聞かされてきました。
人生日々是好日
出雲では、逆に神々がお集まりになられるので「神在月(または神有月)」。そこで神々は何をなさるのか? 「人間一人一人の”縁”(えにし)を定める会議をなさる」と、教わりました。
あ、そうそう、神在月の由来について、
なぜ出雲に、なんのためにお集まりになるのでしょうか。『日本書紀』に大国主大神が天照御大神に「国譲り」をなさった時、「私の治めていますこの現世(うつしよ)の政事(まつりごと)は、皇孫(すめみま)あなたがお治めください。これからは、私は隠退して幽(かく)れたる神事を治めましょう」と申された記録があります。
神在月
と、出雲大社のサイトではしているけどこのサイト以外から、つまり文献などからこの由来が出てこないのは何故? (さらに言えば、この部分を由来として書いているサイトのほとんどがこのページのコピペで――つまり文章がまるっきり同じということ――かつ引用元を明記していないサイトも多い様に思う)
この言葉が、古事記や出雲風土記には現れないということも、出雲大社のサイトには書いていないねぇ。
「神無月に八百万の神達が出雲大社に集まる」という認識は室町時代にはかなり広い範囲で成立していたようだけど、そこから過去のこととなると、初めに徒然草から引用した様に曖昧模糊になっていく……。
それはなぜ?
■藤子不二雄「流血鬼」の長年の謎が解けた
に収録されている「流血鬼」。小学生の頃に読んだが印象が強く忘れられない。
中学生になって「地球最後の男 オメガマン」という映画があることを知って、これが同じようなストーリーなので疑問に思った。
――藤子不二雄の「流血鬼」とどちらが先?
まぁ、この疑問を解消する努力はしていなくてそのままになっていた。
で、ほんの数年前に、
- 「地球最後の男」はオメガマンの前に一度映画化されていること
- それがロメロのnight of the living deadに大きな影響を与えていること
が、
を読むことで判った。
その時点で、年代的に考えて「流血鬼」を書いた時点で藤子不二雄が知らなかったとは考えにくく、つまり「流血鬼」は「地球最後の男」の翻案だろうということは想像がついた。
そのまま放っておいた疑問が、今日ハッキリと解けた。
なんのことはない、一番最初に挙げたコミックスを最近買ったので再読したという話。
本編中に「リチャード・マチスン博士」という名前――「地球最後の男」の原作者の名前――が出てくるじゃん!
20年越しの疑問が氷解した。
「流血鬼」は「地球最後の男」の翻案ではあることがハッキリしたのだけど、そのテーマはもう一段上のレベルに昇華しているとも思っている*1ので、自分の中の価値は下がらない。
デジタルトルーマンショー
圏外からのひとこと(2005-07-08)
このページのはてなブックマークのコメントの中
に、
藤子不二雄の吸血鬼の話みたいなものだな。
とあって、これは間違いなく「流血鬼」だな、と判った。
このコメントには非常に同感した。本当にそんなテーマの話なのだ。
まだちょっと続きがある。
にて。
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■googlebotがrobots.txtを見ない?
なんてことがあるのだろうか。
robots.txtを置いて、いったんインデクスを破棄させたはずの(検索してもヒットしなくなったのを過去に自分で確認した)ページが検索でヒットするようになってしまっている。
古いコンテンツが検索ノイズにならない様に、というだけの理由なので検索されても痛くも痒くもないのだけど、おかしいな。
それとも crawler の問題ではなくて、何かの理由があって(私がrobots.txtを置く前の)古いインデクスをマージさせたとか?
■悪魔の証明に似た様な……
また、映画化されていないのであれば、その証拠を実際に示してください。「されていないと思うんだけど…」レベルの回答はご遠慮ください。
http://www.hatena.ne.jp/1132496463
この文不要では?
■リスクの判定
薬の副作用というものは、確率の問題というものがあって、
S嬢のPC日記:「タミフル報道」に思う
狂牛病騒ぎの時も思った。
- 「食べた牛が牛海綿状脳症に罹患していた確率」や「牛海綿状脳症に罹患していた牛を食べることで新型クロイツフェルト・ヤコブ病症を発症する確率」を考慮しないでリスク判定をすること。
- 「タミフルを服用することで重大な副作用が発生する確率」と「タミフルを服用しないことでインフルエンザで死亡する確率」の比較をしないでリスク判定をすること。
- 「タミフルを服用することで重大な副作用が発生する確率」と「タミフルを服用しないことでインフルエンザウィルスを周りにまき散らすことで死者を出す確率」の比較をしないでリスク判定をすること。
- 宝くじで「3億円があたる確率」を考慮しないで、手元にある3千円が300円になるリスクを取ること。
「ほとんど起こることが無いと言ってもいい事象」の「リスク/メリット」を取るという心理は根が同じだよなぁ。
タミフルの服用で何百万人という人がインフルエンザで死亡するリスクを回避できる。その中の何十人という人に副作用が発生するという潜在リスクが発露した。その中の何人かそのリスクにより死に至った。(追記:私も馬鹿な書き方をしてしまった。そのリスクにより死に至った可能性があるが因果関係はまだはっきりしていない、だった。)
この基本的な数字を押さえないで議論するの? という問いかけを、引用したエントリとその中でリンクされているエントリがしている。
追記
インフルエンザの致命率を追いかけてみたがウィルスの種類や、地域、罹患者が大量発生した状況かどうかなどの因子が絡むわけで、色々な数字が出てくるが1%以下〜数%の範囲の様だ。
ただ、ここでひっかかってくるのは「飲むか飲まないか」ではなく、「飲ませるか飲ませないか」ということ。つまり子どもに対してのこと。これは自分自身が「飲むか飲まないか」というよりも、はるかに難しいところがある。子どもに飲ませて重大な副作用が発生した場合、誰が何を言おうとも、飲ませた保護者は孤独を抱えていく。
S嬢のPC日記:「タミフル報道」に思う
確かに難しい。だけど最近はかかりつけの医者,薬局なら、初めて飲む薬かどうかを教えてくれるし、また親もその点は注意していて然るべき*2だ。
どんな薬であれ、初めて飲む薬については子供の様子をちゃんと見る必要がある。
余談
何年か前に子供がインフルエンザにかかって、薬を出されたことがあったけど、薬の名前までは知らなかったが「インフルエンザの特効薬には重い副作用を起こした事例がある」ことを知識として知っていて、気をつけていた記憶がある(何で知ったのかの記憶は無い)。
だから、今回騒ぎになっている――らしい――のは、何を今さら感がある。
■答えはあなたの胸の内にあるのです
技術系のフォーラムで検索もせずに、質問をする初心者(?)が多いようですが、なんで検索しないのでしょうか? 検索すると心理的に苦痛があるのでしょうか? 心理学的(でなくてもいいですが、)にこの検索に対する抵抗をばっちり分析しているページなどありましたらお教ください。
http://www.hatena.ne.jp/1132522053
なんとも自己言及的な質問だなぁ。
いや当然ネタなんだろうけど(こうやってホイホイと釣られている自分も馬鹿みたいだが)。
……もし仮に、ネタでないとしたら、その疑問*3の答えはあなたの胸の内にある、ということになるわけだ。