2006-04-19 [長年日記]
■自分の言葉
普段はどこかからかの引用や、自分の読んだものとかについて書いているわけだけど、たまには自分の言葉だけで書いてみようか。
まぁ、とは言っても、それは以前に目にした何かからの引用であるのだろうけど。
「言葉を紡ぐ」とはよく言ったもので、自分の言葉で書くっていうのは確かに自分の頭の中にある何か、を縒り合わせて糸にして巻き取っていくようなものだな。問題なのは糸車にかかっている綿の質と、紡ぐ技術。
紡ぐ技術ってのは訓練で向上させることもできるし、この日記なんてまさしくそのために存在しているといっても過言ではない(過言ではない、なんて口語では普通使わないよな)。いや、因果が逆か、訓練で習得・向上させることができるが、訓練無しには獲得できない能力を「技術」と呼ぶのか。
対象が人間である限りはそれでいいのだけど、人間ではないものに移った時、直感的な意味が逆転するのは面白いな。「科学技術」なんていうときの「技術」だ。ここでは、訓練無しには獲得できない能力を機械(ロボットだったり、人間を補助する道具だったり)に与えた時に使われる。
同じ「技術」だけど英語にすると、前者は technique で、後者は technology なわけだ。
……話を戻そうか(ここで、閑話休題、と書きたくなるのは私の癖か)。
「文章を書く」には「言葉を紡ぐ」以外にもう一つ必要な、大事な能力がある。
「言葉を紡ぐのを止める」こと。これが意外に難しい。あるいは「誰でも小説を書き始めることはできるが、書き終えられる人は少ない」とでも言おうか。
「小説が書ける人」っていうのは「書き始められる人」のことではなくて、「書き終えられる人」のことだ。
自分の本を書きたい、出したい、という人はゴマンといるけれど、それに本当に必要な能力は「書き終えられるか」だよね。
せどりがまたいで通る、新風舎とか文芸社とか、要するにお金を出せば本を出版できて――ここからが重要――ISBNが振られて全国の本屋で扱ってもらえる様にしてくれる会社。扱ってもらえる、ってのは流通ルートに載せられるって意味であって、本当に本屋さんが棚に置いてくれるかはまた別。
あ、さらにお金を出せば、棚においてくれる本屋さん、ってのもあるらしい。最近読んだ何かだな……。なんだっけ?
と、ここまできて、このエントリを「書き終える」ことができるかどうか不安になってきた。着地点が決まっていないで書き出すってのはなかなかに冒険だ。
でもたまには冒険の様なこともやってないと、鍛えられない。意図的に鍛えたい、っていう意思は、ある。それが何かに繋がればいいと思うのだけど。
ふむ。プログラミングにも近いものがあるかな。
プロトタイプで満足したり、ソース書いて終わり、っていうのはまだ「書き終えてない」ってことだな。
「プログラマ」っていうのは「書き始められる人」のことではなくて、「書き終えられる人」のことだ。
あ、いいなこれ。まさにその通りだ。
何かが作りたくて着手はするんだけど結局作れないまま終わる、っていうのは、とりあえず原稿用紙を買ってきて(っていうのはちょいとアナクロだけど)小説を書き始めるのはいいんだけど途中で止まっている、ってのと同じだな。
うっ。
今なんかこう最後の言葉がナイフのように……
by 真山くん from ハチミツとクローバー (6) (クイーンズコミックス―ヤングユー)(羽海野 チカ)
って感じ?
最後の最後で「自分の言葉」じゃないじゃん! ってとこで、お終い。
■またやった
2005年11月5日のエントリを更新して rdf を吐き出してしまった……。
リンク先の修正だけなんです。
■PHASE IV
レアなSF作品。ビデオのみでDVD化されてないとはいえ、値段にビビった。
これは海外版のビデオで発送も海外から。あちらでもDVD化されてないのか? それとも対日本市場価格?
こちら日本語字幕付き。
前にあっちで書いたことあったはずだな。
これだこれだ。