2005-12-08 空売り, せどらーについて語りましょうか [長年日記]
■空売り
昼サイさんのところ( 凄いちょんぼですね - 【働いたら】ニートスズキこと斎藤智成ブログ【負け】 )からたどって読んだんだけど、
みずほは実在する現物株数以上に売ってしまい、結果的に「空売り」する形となった。
asahi.com: みずほ証券、誤まって大量の売り注文 株式市場は混乱 - ビジネス
この「空売り」って、わざわざ括弧って括っているってことは、
これと同義?
えーと、「空売り」ってやつは、それをやった時点から株価が下がると儲けがでる、って仕組みだよな。
実際のみずほの売値は1円ではなく、このストップ安価格だったと見られる。
asahi.com: みずほ証券、誤まって大量の売り注文 株式市場は混乱 - ビジネス
ストップ安価格で成立してしまったってことは、ここから下がることは無いってことだ。だからこの状態からだと、みずほが損失をだすしかないっことか。
あってる?
追記
キーワードからたどって今日の分の、「空売り」を含む日記 をざっと読んでいくとまぁあっている様な気がする……。
■サーチクロス と Thunderbird
Thunderbirdでメール検索を早くする方法(インデックス化)等あればおしえてください。
検索結果をダブルクリックしたときに、Thunderbirdが起動するような設定ができず、ちょっと不便だと思っています
http://www.hatena.ne.jp/1133997182
その通りだぁ。
対応メールクライアントに Thunderbird の名前があったことで安心して回答してしまった。
インデクス作成の対応と、ダブルクリックでの該当メールのオープンは別物だったっけ。Becky!でできているから、調べてもいないのにできるもんだと思いこんでしまった。
Command line arguments - MozillaZine Knowledge Base
Command line arguments - Thunderbird - MozillaZine Knowledge Base
あたりを見ると確かに、起動時にあるメールを開いた状態にする、っていうのはできそうにないなぁ……。
■自然数は有限の桁で抑えられる
自然数が、有限の桁で表記出来るというのが不思議に思います。その有限の桁は、いったいいくつなんだろうというのをまず考えます。
そして、有限の数を組み合わせて、無限ができるというのは、ちょっと納得しがたいです。有限集合に対する有限の操作で、無限集合ができるということですから。
http://d.hatena.ne.jp/quintia/20051207#c1134013117
数式を使いたいのでエントリとしてあげちゃいましょう。
どんな自然数でもたかだか有限の桁数で表記できる
と書いた。
ちと強引だが、対偶を考えてみる。
有限の桁数で表現できない「何か」は自然数ではない
どうゆうことか?
\(\normalsize\displaystyle~\sum_{i~=~1}^{1}~10^{i-1}~=~1\)
\(\normalsize\displaystyle~\sum_{i~=~1}^{2}~10^{i-1}~=~11\)
\(\normalsize\displaystyle~\sum_{i~=~1}^{3}~10^{i-1}~=~111\)
:
:
\(\normalsize\displaystyle~\sum_{i~=~1}^{n}~10^{i-1}~=~?\)
↑これは、n桁の数で、全ての桁が1である自然数、となる。
これはnをどんなにどんなに大きい自然数にしても変わらない、つまりnという有限の桁数で抑えられた値にしかならない。そしてnをどんなにどんなに大きい自然数にしても、この式が表現するのは自然数の範疇に納まる。
強引に話を展開してしまうが、
\(\normalsize\displaystyle~\sum_{i~=~1}^{\infty}~10^{i-1}~=~?\)
これは一体なんだろうか? 省略しないで書くと、
\(\normalsize\displaystyle~\lim_{n~\rightarrow~\infty}~\sum_{i~=~1}^{n}~10^{i-1}~=~?\)
ということ。これは「正の無限大に発散する」。つまりは「自然数ではない」。
ただ、それだけのお話。
■せどらーについて語りましょうか
「お,この本出品者いないじゃん」てな本を(携帯サーチを使って)見つけたときに、それを仕入れるか仕入れないか、つまり売れる本か売れない本かをその場で見極めるのは個人の暗黙知としてのノウハウだろう。105円棚なら考えずに仕入れる、という判断もあるだろうけど私は今ほとんど105円棚から仕入れることは無くなったので、そこで考えなきゃならない局面が増えた。
で、家に帰っていくらで値段をつけようか? と悩む。そこでもやっぱり判断しなきゃならない。
その本が古書に値する本なら高い値段をつけてもいいだろう。でも似た様な内容の新刊が出ている様なジャンルなら、やっぱりBOの様に定価の半額とか、せいぜい定価が妥当だろう。やっぱり、そこにも本屋を見てきてどんな本が出版されているのか? っていう個人の知識だとか、Amazonを検索して類似の本がどうなっているかというような知恵という要素か入ってくる。
今をときめくw江原哲之だって、去年の今ごろは105円棚で見つけたら即確保! の「せどり的においしい本」だったんだ。出品してその日に売れるなんてザラだった。
ところがその後、彼の本は山ほど出版され、オビに顔写真が付く様になって、CDが出てジャケットに妙な衣装で写っていて、しまいにはテレビ出演。
彼の本は、もうすでにたくさん出て、買われ、消費され――つまりは誰かの本棚にずっと残る本じゃなくて即座にBO行きになるような本に堕してしまった。
本屋の平積みの棚にずらりと並んでいる様な本は――まだ出て間もないのに105円棚に入っていたとかいうのは別として――せどりで仕入れていい本じゃない。
この本は売れるか売れないか? という自分の中でのせめぎあい。そしてその本が売れたときのうれしさ。
そんな感覚がなんとなくでも想像できる人なら、やってみればいい。