過去の日記

2007-10-22 [長年日記]

なぜ書いた人の名前が著者名データに入っていないのか? [気になる本]

匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。インターネットの急速な普及に、人はどう向き合うべきか。ネット社会に警鐘を鳴らした、毎日新聞好評連載「ネット君臨」の書籍化。

オンライン書店 boople.com: 本: ネット君臨/毎日新聞社

おかしい。それならば著者名がなぜ「毎日新聞社」なのか。それは「匿名」ではないのかい?
「会社に護られた匿名性」の中で書かれた記事を、一体誰が、本気になって読む?*1

「書いたことに責任を持つ」というのは? [etc]

ここから別の話。
とりわけネットでは「書いたことに責任を持つ」言葉を目にする様な気がする*2
例えばはてなブックマークのコメント欄への批判とか。

大抵「責任を持つ」ってどういう意味? と考えると「ちゃんと話し相手になってくれ」の別の言い回しであろう、と感じる。


さて、ある出版物の内容に問題があったとしよう。
刑事訴訟、民事訴訟にまで発展したら話は簡単になる。
書いたことにより生じた他の責任があるのかないのか、あるとしたらそれはどれほどのものか、を裁判で決着をつけるわけだから。


その問題が訴訟までいたらず、警告文や、問い合わせと返答、あたりで済んだとしたら。
そして確かに出版物の内容に問題があったとして、それを「書いたことへの責任」はどう取られるのか。
経営陣の謝罪。関係者、上司、経営陣の減給、罷免などなど。
そんなもんじゃないか?
その程度の"謝罪"や"労働報酬の減額"で「書いたことへの責任」は果たせる、ということか。


話を戻すと、はてなブックマークのコメント欄への批判にでてくる場合は、ほとんど「謝れ」で済むことを「書いたことへの責任を取れ」と言っていると思う。
ということで、「書いたことへの責任を取れ」なんて言葉を見かけたら、「謝れ」と言い換えて大意が通るか考えてみればいいんじゃないか?

アルゴリズムとシードで情報を伝える [etc]

情報系の多くの人が気づいていると思うけれど、疑似乱数生成のアルゴリズムが公開されていれば、種を伝えるだけで歌詞を伝えることができる。

著作権という法律に対する新たな挑戦の兆しがかいま見られる(2割冗談)。

2007-10-21 - 結城浩のはてな日記


円周率版のエイプリルフールネタがあったなぁ、と思い出した。

http://www.faireal.net/dat/d6/d60401.xml


  • 円周率は「誰か」の著作物である
  • その「誰か」の死は確認されていない
  • 死が確認されていない以上、円周率に関する著作権は切れていない
  • もちろん「正当な引用」は認められているので数学や工学上使用することは特に問題はない
  • 円周率を印刷しただけの本などは著作権法に抵触するかもしれないが「誰か」が告発することはなさそうだ
  • 円周率を文字の形に変換して表れる文、節、バイナリデータもまたすべて「誰か」の著作物

なんてね。


円周率をデータ列と見なすための方式は「著作物」じゃないよなぁ。


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しかし円周率が万能数(任意の有限数列を必ず含む数)かどうかはまだ定かではなかったりして。

神様のパズル 読了 [novel]

面白かった。一気に読んだ。まだ評価はできない。それは、いつか、また読んだ時に。

神様のパズル (ハルキ文庫)

  • 作者: 機本 伸司
  • 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
  • 発売: 2006-05-01
  • ASIN: 4758432333
  • メディア: 文庫
  • amazon.co.jp詳細へ

巻末の解説以上にこの作品について書く必要はないような。とても素敵にまとめられた解説だと思った。
一応書いておくと、「宇宙を作ることはできるのか? できるとしたらどうやって?」というのがテーマ。
スーパードライな16才の天才少女と、平均的読者より少し劣るワトスン役の「僕」。
天才少女が世に出した論理を基に作られる実験施設、接した2つの円形加速器「むげん」(形が∞なのね)と、その近くの田んぼで行われる稲作。
コンピュータネットワーク上で実行される宇宙開闢のシミュレーションと、就職や卒論、ゼミに奔走する「僕」。
そんな話。


解説には、

こういう小説をもっと読んでみたいという人なら、グレッグ・イーガンの『万物理論』やスティーヴン・バクスターの『時間的無限大』など、宇宙論SFの大海に漕ぎ出すのも良いだろう。

とある。確かにTOEを扱っている以上『万物理論』もよいけど、ここはやっぱり『順列都市』でしょう!

*1 各記事に署名が入っている可能性はある。未見なので判らないが。

*2 現実世界で「自分が言ったことに責任を持つ」と聞くことに比べれば、頻度を多く感じる理由はだいたい判る。