2006-01-27 曖昧なtaxonomy [長年日記]
■曖昧なtaxonomy
何も知らずにアクロイド殺しを読んだ人は幸せです、と森博嗣先生も仰っている(いたと思う)。
私は不幸せだった。先に犯人を知っていた。
リンク元を見ると、ここはABC殺人事件だったのか。
ナンセンス不定記
クリスティですな。
一番最初に読んだのは「そして誰もいなくなった」です。
その後、何も知らずにアクロイドを読んで「世の中にこんな小説もあるんだ!」って思っていろいろ買って読んでました。
それはともかく、私のはてなRSS ( r:id:quintia ) は怪しげなカテゴリが並んでいる。大体名前からして怪しげだ。
アガサである。
最初にはてなRSSを使った時点であまり本気で使うつもりがなくてたまたまそこに置いてあった、クリスティ文庫に挟み込んであった広告を見てはてなRSSのタイトルに付けたのが始まり。
その後、はてなRSSをちゃんと使おうか、と思ったときにカテゴリ名をどうしようか迷った。その時に「全部アガサでいってしまえ」と思いついたのだ。
で、現時点でのカテゴリは、
- 愛の探偵たち
- 象は忘れない
- 無実はさいなむ
- 未完の肖像
- アクロイド殺し
- ねずみとり
- そして誰もいなくなった
- 動く指
- 複数の時計
- ABC殺人事件
- グループ名はアガサ・クリスティ小説です
最後の一つが説明のためのカテゴリ名なのはいいとして、他のカテゴリ、一体どういう規準なのか、すぐには判らないだろう。
実は私もハッキリとした規準を持っていない。「愛の探偵たち」はIT関連のニュースサイトであることだけは、ハッキリとしているしこれからも変わらないだろう。でも他のカテゴリは曖昧なままだ(「未完の肖像」と「ねずみとり」は現時点ではハッキリとした規準があるけれども)。
曖昧なカテゴリにした背景は、人が何かを分類する時に曖昧な印象が規準であって厳密なものではない、と思うからだ。
ソーシャルブックマークは、分類付け=タグ付け=taxonomy を参加者全員でやることで、個ではなく全体の分類としようという面(folksonomy)がある。
はてなRSSはそうなっていない(と思う)。
その、人間側に起因する分類の曖昧性をどうやってさばくか?
カテゴリを曖昧にしてしまえ!
最初の段階で、一応カテゴリに意味づけはあった。でもそこから先は曖昧。
フィードの出入りや、多くなりすぎたカテゴリの分割、その逆の統治を経ていくことで、カテゴリに入っているフィードの性質がそのカテゴリを性質づけるはずだ、という考え方。
あるいは、自律的に働くはずだ、と言い換えてもいい(かもしれない)。
あるフィードを入れるのにどのカテゴリにしようか? と思った時でも、「ちょっと違うけどここらへんに」というような逡巡がない。元々曖昧なのだから。
あるカテゴリの中で「これだけちょっと別だな」と思ったら適当に移動する。元々曖昧なのだから。
フィードの出入りによってあるカテゴリの意味合いが変化しても、カテゴリ名を変える必要はない。元々曖昧なのだから。
ガチガチに分類するのが好きな人、でも逆に手段であるはずの「分類すること」に変に時間を使ってしまう人。
分類するのが好きじゃない人、おかげで全部1つのカテゴリにぶちこんであってわけ判らなくなっている人。
カテゴリの規準を曖昧にすることで、解決するかも?
その解決のための第一歩としてカテゴリ名を曖昧にしてしまうってのは、どうです?