2007-09-07 [長年日記]
■台風と通信
さて。
台風で小学校が休校。正しい判断だね。この風じゃ危ない。
通信が発達し、台風が来ていること。規模。特徴。先に台風が到達した場所の情報。
それらの情報を事前に受け取ることができるようになり、台風が来る前に判断ができるようになった。
いや。
台風が「来る」という概念を得ていること自体が通信の発達のおかげだ。
事態が収拾した後に状況を見聞していけば、時系列に何かが「通っていった」という概念を得ることはできるだろう。
でも「来る」という概念が成立したのは随分と最近のはずだ。
一九三四年(昭和九年)九月二一日に関西地方に大被害を与えた室戸台風が、同日午前五時すぎに室戸岬で低気圧の世界新記録を示したことはあまりにも有名である(だからこそ「室戸台風」と命名された)。しかし、このニュースが当時の中央気象台にとどいたのは、実は台風がとっくにすぎ去ってしまった二三日になってからだったという話は、あまり知られていない。
(略)
大型の台風が来そうだということは前夜からわかっていたが、室戸測候所の貴重な徹夜の気象観測データも、通信線が切れて午前三時以後は入電しなかった。しかも、この台風の世界チャンピオンが、関西地方の玄関先ともいうべき淡路島まで来た午前七時に、大阪の風速はなおわずか秒速六メートルにすぎなかった。たいしたことはなさそうだ、と人々が平常通り出勤したところに、突如として猛台風がやって来た。高潮は自動車でも逃げ切れない速度で低地を襲い、気がついたときにはも、もう手の施しようがなかったというのが実情のようでもある。
また別の例だが、警報が出ないうちに台風が襲来し、怠慢を新聞にさんざんたたしれた測候所長が、とうとう自殺したという悲しい話も伝えられている。こういう話は、気象観測人工衛星の情報が時々刻々と入るようになった現在のわれわれには昔語りの感がある。
とは、
の29ページから31ページに書かれていることである。
こうして小学校の休校に付きあう格好で会社を休み(でないと家で子供だけになってしまうし)、珍しくもテレビを点けて各地の状況がリアルタイム、録画あわせて放送されているのは不思議な感覚。
その「不思議な感覚」というのはこうだ。
先の本にある話。
また一九七六年米国カンザスシティーの洪水では、地元のテレビ局が実況放送をしたとたろ、現実とドラマを混同したやじ馬が大勢現場におしかけて、多数の死傷者が出たという、信じがたい事件が報道されている。
とある。
テレビの中の実況放送と、窓の外の雨風の風景。
同じ「もの」なのに、テレビに映し出されているのが見知らぬ風景であるため、微妙なズレを感じる。
同じブラウン管で見るのが、いつもフィクションだからか?
通信と暗号というつながりから台風の話などでてくるので引用したのだけど、先に挙げた本はちゃんと暗号の本です。
改訂新版になって、公開鍵暗号の原理や特徴――一方向関数と落とし戸関数、電話でのジャンケンとか――までをコンパクトにカバーする、入門と実践(実装?)とを繋ぐ良書かと。
■Google Reader の未読が521だった
今まで"100+"という表記だったのにいきなりリアルな数字に。
……こ、これはちょっといや。