2006-06-21 [長年日記]
■可能無限 いまだに
のカスタマーレビューで笑ってしまったので再び取り上げる。
πを無理数だとちゃんと証明している。p95に、π=4Σ{(-1)~n/(2n+1)}であると書いてあるわけで、
これはπと云うものがこのような規則によってのみ記述されうる数である、と書いてあるではないか。
わはははははは。すごい脱力してしまった。
確かにp94〜p95にかけて、こんな会話が出てくる。
「すると、πもそういう規則*1の名前なんですか?」タカムラさんが言った。
「そうです。πになると私も詳細は知らないのですが、こんなふうに求めることができるようです。
\(\frac{\pi}{4}~=~1~-~\frac{1}{3}~+~\frac{1}{5}~-~\frac{1}{7}~+~\frac{1}{9}~-~\frac{1}{11}~+~\cdots\cdots\)
「なんだか、すごくきれいですね」タカムラさんが言った。ぼくも、πがこんなふうに整然と求められることに少し驚いた。
笑った理由は4つ。
1つ目。
「私も詳細は知らないのですが」といって引用してきた式をして「証明している」と言っていること。
まったく、これっぽっちも、「証明」なんかじゃないでしょ。
2つ目。
「πを無理数」だということはこの級数展開の形からは全然判らない。
実無限の世界――というのは普通の数学――では、πが無理数だということは別の形で証明される。その証明には積分が出てくるので可能無限の世界では自明ではない。そしてこの級数展開はその証明とは全然関係がない。
むしろ、可能無限の立場に立つならば、この式を見て「πが無理数なのか有理数なのかは誰にも判らないのです」と思う方がまだ一貫性があるというもの。この級数を見てこれが無理数だと思ってしまう様では、タジマ先生の言っていることを全く理解していないと思われても仕方がない。
3つ目。
π=4Σ{(-1)~n/(2n+1)} なんてどこにも書いてないよ?
級数(=数列の和)の極限としてΣの記号を持ち出してきたら、タジマ先生に、
あさはかですねえ
と一蹴されちゃうよ
と私は思うのだけど。
(追記)
p17に以下の様な会話があるから、そう思うのだ。
「収束する無限級数があることをゼノンは知らなかったから、パラドクスに思えたんですね」
「あさはかですねえ」
「でもゼノンの時代にはしょうがないじゃないですか」とぼくが言い終わらないうちに、タジマ先生はこよなくうれしそうに、言った。
「君が、ですよ。君が、あさはか」
ここからがこのエントリの本題。
4つ目。
タジマ先生曰く、
πになると私も詳細は知らないのですが、こんなふうに求めることができるようです。
って、アナタ。「できる」って言ってるのは実無限派の数学者だよ?
作中で、何度も「私は可能無限派」と言っている人が、自分に都合のいいことだけは無批判に――というよりよく知らないことを、正しいと認めたような言い方で引用しちゃうんだ。
愚劣を通り越して卑怯だ。
その級数展開は、
\(\tan\frac{\pi}{4}=1\)
であることから、その逆関数を \(x=1\)
でテイラー展開して出てくる式でしょ? つまり \(\frac{\pi}{4}=\tan^{-1}1\)
の右辺をテイラー級数(マクローリン級数)に展開して出てくる式だ。*2
連続関数でさえ自明ではない可能無限の世界で、三角関数に微積分、そして関数の無限級数展開を使って導出する式を、そんなあっさりと引き合いに出していいもんじゃないだろうに。
それ、それはですね、いちばん愚劣な答えです
そう、何よりも愚劣なのは「できるようです」なんて言い方をしていること。タジマ先生はこれを正しいとも間違っているとも言っていないのだ。
ひどいミスリーディングだ、と思った。