2005-06-26 [長年日記]
■神無月の巫女 考
神無月の巫女 (2) (カドカワコミックスAエース)(介錯) で一番不審な箇所は119p
「破瓜の血によって天叢雲剣の封印を解いていたというのだな!」
というツバサの台詞。
「んな馬鹿なー」とつい叫んでしまいました(嘘です)。
これに対して納得のいく答えを模索するべく考えてみました(が失敗に終わっています)。
まず登場するものたち。
- 陽の巫女
- 月の巫女
- 天叢雲剣
- オロチ八神(ロボットの姿をしているやつ)
- オロチ衆(人間の姿をしているやつ)
- 八岐大蛇
- オロチ
この話のベースとなる神儀の手順を考えてみましょう。
- 人の世の負の情念が大きくなる。
- 陽の巫女[1],月の巫女[2]の覚醒。オロチ八神[4]の復活とオロチ衆[5]の覚醒。(コミックス1巻)
- 天叢雲剣[3]の復活
- オロチ八神[4]とオロチ衆[5]の合。(コミックス2巻23ページ千歌音の台詞より)
- 八岐大蛇[6]の復活。
- 八岐大蛇[6]と天叢雲剣[3]の対決。
- 天叢雲剣[3]の勝利。(記紀をなぞらえる)
- 陽の巫女[1],月の巫女[2]のいずれかの命(というよりも「人として一生分の時間」と言うべきか)を引き替えにした、天叢雲剣[3]によるオロチ[9]の封印。
- 天叢雲剣[3]が鎮まる。
というところでしょうか?
で、ここでコミック版の不思議な点につまずいてしまいます。八岐大蛇[6]の復活は、陽の巫女[1]か月の巫女[2]の純潔の血を捧げることによって起こるとあるからです。事実、千歌音とツバサが戦い、千歌音の血が流れたことによって八岐大蛇[6]が復活したように読めます。
そして、天叢雲剣[3]の復活の条件も同じく、純潔なる巫女の血を捧げること、です。(コミックス2巻107p)
さて、これでは神儀の6番、八岐大蛇[6]と天叢雲剣[3]の対決、が起きるためには純潔なる巫女の血が、八岐大蛇[6]と天叢雲剣[3]の両方に捧げられなければならなくなります。
では前世では何が起こったのでしょう?
語られているのは、八岐大蛇[6]を倒した後、月の巫女[2]が陽の巫女[1]を殺して世界の再生を行ったということだけです。
前世で八岐大蛇[6]はどのようにして復活したのでしょう?
コミックスをざっと見直してみると、アニメ版にあった「天叢雲剣[3]に陽の巫女[1],月の巫女[2]の巫女が乗っている」前世の映像がありません。
ということは前世では陽の巫女[1]の血により八岐大蛇[6]が復活し、月の巫女[2]が天叢雲剣[3]を復活させた、と考えるべきでしょうか。
そして月の巫女[2]は再び同じく神儀が起きる世界を望み、再び繰り返される世界となったのでしょう。
そこに姫宮翁の画策やらソウマ君の造反やらで神儀の順番がぐちゃぐちゃになってしまった、というのがこのコミックスの解釈かと。
それでもやっぱり、何故今生*1で天叢雲剣が復活できたのかは……、ツバサの台詞を鵜呑みにするしかないのでしょうか?
納得いきません。
さて、ここまで純潔純潔と繰り返し使ってきましたが、この考え、キリスト教的な処女崇拝を感じてしまうので、そういう意味でコミックス版は好きになれません。天叢雲や八岐大蛇といったキィワードが出てくる話で「巫女の純潔」なんて言葉が出てくることに、とても違和感を感じます。
それもあって、正直、アニメ版の方が気に入っています。
この辺で終わりにしましょうか。
処女崇拝に対して嫌だなと思った、ということに疑問を感じた方のためにちょっと引用しておきましょう。
何年か前の話ですが、民主化解放の進行している東欧のある国で、新婚花嫁の自殺が急増しているという報道がありました。新婚初夜の翌朝、その家の窓にシーツが飾られるのだそうです。そこに、処女だったという証がなければ、花嫁は自殺しなければならない、そうしないと、家族に迫害が及ぶからなのだそうです。こういう風習にならなかったことを我々は喜ぶべきなのでしょうか。
処女性の持つ意味 - るいネット
あと、この辺もね……。
追記
Yahoo!での"巫女考"の検索結果の筆頭にあがってきて吹いた。
普通はこれでしょう。それにしても、このエントリを書いたころとちがってずいぶんとマーケットプレイス価格がおちついてきたな。
*1 こんじょうと読んでくださいね