2005-09-06 神無月と神在月 [長年日記]
■神無月
といっても神無月の巫女ではない。
出雲では神有月と称する。とキーワードの説明にも書いてあるけど、古くからある考えではないらしい。
徒然草 202段
十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。本文も見えず。但し、当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。
日記: 徒然草 第二百二段
この月、万の神達、太神宮に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり。
大神宮に集まるという説もあるが本節(根本となる説)なし、とある。
鎌倉時代の時点で、博学な兼好がそういっているということは、「出雲では神有月と称する」なんてのがここまで広まったのは、ずいぶん後になってからだろうなぁ、と思った。
「出雲では神有月と言うんだよ」とうんちくを言う人と会ったら、「徒然草では云々」とうんちく返しをしてみよう。
ここまで書いてきて、神有月じゃなくて神在月が正しい表記なんじゃないか? とふと思ったのだけど……、
ビンゴ。
この出雲大社のサイトの説明を見ても、なんで神様が集まってくるのか? という説明となるとあやふや〜な書き方になっているなぁ。
■辞典で考えよう
国語の先生のサイトらしい。
生徒にじゃんじゃん辞書を引かせようという授業。
で、笑ったのがこちら。
右
下の「今日」を引いて「きょう」の定義が意外に難しいねということになりました。こういう相対的な観念は定義しにくいものです。では「右」は辞書ではどう出ているか、ということになりました。
ア ネ モ ネ 国 語 辞 典6
(略)
教室全体が爆笑したのはある辞書(その辞書の名誉のために書名は伏せておきます)には「前を向いた時、右手に当る方」。うん。これは爆笑だ。
辞書を引くというのは楽しい。