2005-05-24 [長年日記]
■まだまだ楽しみたい
購入。
追記 (2007/11/16)
上の本はプレミアがついてますな。
各ゲームショップで配布された予約特典のイラストが揃っているから?(ゲームショップごとに違う絵柄だから発売当時これをコンプリートしようと思ったら……)
■Ever17 を終えてつらつらと
昨日のエントリから移動してきた。
まぁ、ネタバレしないとは思うけど、未プレイの人は避けた方がよいかも。
Ever17は2人の視点を選べるようになっていて、そのへんがストーリィのキィになっている。これは取説ですでに「沙羅が武視点には出てこない」という1つの謎を呈示しているのでプレイ前から十分に予想できたこと。
「映画を観ている」つもりが、いつの間にか映画の世界がこちら側に浸食してくる感覚を味わうのは、これ。
cthulhu mythsファンのジョン・カーペンターの(今のところ)最高傑作ではないだろうか?
見終わった後に、結末の部分をよーく考えてみて、世にもおぞましいこの映画のメタな部分に思い至った時が、この映画の面白さを一番よく味わえる時。
反対に「小説を読んでいる」つもりが最後のオチであちら側に引きずり出される小説というのはいっぱいある。
ぱっと思いつくのは
これ。やっぱりそういうトリッキーなネタは短編の方があうのだろう。
どの話がそうなのかは書かないでおく。
このゲームは「視点」がとても重要なキーワードになるのだけど、小中千昭が自書の中でホラー映画にまつわる話を書いている。
ホラー映画ではお決まりとも言える場面がある。これから何か(幽霊でも殺人鬼でも)におそわれようとしている人物がいる。
(略)
その人物を、繁みの中からじっと見つめるカットバックが挿入される。それは、これから襲うもののPOV(引用者注:Point Ov View 主観映像のこと)であることを強調して、手持ちキャメラによってブレたりしている――。
こういう場面で、観客はどういう感情を抱くだろうか。「ああ、早く気がつけばいいのに。やられてしまうぞ」と、腰が浮くようなじれったい感覚になるのが普通だろう。これは映画のエモーションで言うなら、「サスペンス」と呼ぶべきで、「怖い」というものとは別の感覚なのだ。
幽霊と対峙し、恐怖の衝動にかられているキャラクターを描く場合に、幽霊の背中越しにキャラクターを写すアングル、ホラー映画ではおなじみだろう。やはりこれも、「やってはいけない」ショットなのだ。
などなど。ホラー映画において、徹底して「恐怖を感じる人物」の主観視点から外れたショット(幽霊などの視点や、第3者的な視点)を、その映画を「怖くないもの」にするとして排除するべきだという論だ。
Ever17は恐怖作品ではないけれども、主観視点を駆使して作り上げた作品でどことなく共通な匂いを感じてしまった。
上で引用した、そんな小中千昭のホラーに関する思いが詰まった恐怖映画の解題本はこちら。
「リング」「呪怨」など有名ホラー作品群の先駆というべき「邪願霊」の脚本家。ウルトラマンティガにcthulhuを持ち込んだ脚本家。異形コレクションにたびたび召喚される作家。そんな小中千昭の小説集、
はプレミアが付いてるね。発刊時に買えて本当に良かったと、思う。この本に収録されている短編「夜はいくつの目を持つ」にはこうある――。
目と目の間にはね、第三の目の痕跡がある、という話もあるんだよ――。
それは「視点」にまつわるホラー。
■語の末尾の長音
「メモリ」「メモリー」 「スキャナ」「スキャナー」 「プリンタ.. - 人力検索はてな
http://www.hatena.ne.jp/1116841180
自分の場合、もともとコンピュータ畑なので、最後の長音を使わない癖はあったけど、森博嗣さんの影響でそれがさらに助長された感じ。
とはいってもさすがに「カバー」のことを「カヴァ」と書くことはないので、森先生ほど一貫しているわけではない。