2005-05-12 [長年日記]
■アンファン
MADLAXに出てくる"アンファン"は、ドイツ語のanfang(はじまり)なのか、フランス語のenfants(子供達)なのか?
ever17をやっていたら「anfang」という台詞が出てきて、これはドイツ語なのでちょっと気になって確認してみた。
アンファン・テリブルの用語で有名なので、フランス語の方かと思っていたがさて?
まぁ、この先見ていくうちに判るか、もう1回見直した時に気が付くだろう。
ネタバレするのが嫌なので特に検索したりはしない。
追記
別にネタバレはないだろう。サウンドトラックに、Enfant という曲があるので、アンファンはフランス語の"子供"ということか。
■起業バカ を読んだ
明日までかかるかと思ったが、案外早く読み終えてしまった。
内容は前述の通り「世の中そんな甘くない。起業の数ほどワナがある。」につきる。(これは裏表紙に書かれている言葉)
起業しようとすればそこに付け入ってくる連中が有象無象いる。
フランチャイズ,銀行,投資家,大企業,闇勢力……。
そういった実例をこれでもかこれでもかと書きつづった本である。
あとはちょっと気になった所を引用する。
p129
すべてのFCは本部だけが勝つ
フランチャイズチェーンについて的確に示した文だと思う。
他の本やらなにやらで軽く知ってはいたけれども相当にすごいらしい。
それでもその実態が中々出てこないのは、
――3000万円の使い途は?
「これは公にはできないんですよ、守秘義務があって。ずっと公にはできないんです、契約内容も……」
p156。コンビニFCに3000万円つっこんだ人の言葉。
守秘義務があって実情を公表することができない。最初に交わした契約がそうなっている。おそらく公表したら相当金額の訴訟が待ち受けているのだろう。
「一度契約を結んだが最後」というフレーズが何度も出てくるのが印象的だった。
p225 敗因 持ち株比率が少なすぎた
資本金1000万円のうち300万円しか準備できなかった
って、それは「持ち株比率が少なすぎた」のが敗因ではなくて「株式会社を作ろうとした」オプションがそもそも間違いなのでは?
足りない700万円を他人から出してもらったせいで経営権が握れなくて、会社の舵取りができないまま「会社を潰す」と脅されたというオチ。
p242 モバイル・インターネットキャピタルの西岡社長の言葉。
重要なのは機会平等なのに結果平等とハキ違えている。
日本ではベンチャーが育たないという件(くだり)で出てくる言葉。
シンプルかつ的確な指摘だ、と思った。
■ちょっと気になった表現
この世に存在するビジネスの業種分布をわかりやすくまとめたもの.. - 人力検索はてな
http://www.hatena.ne.jp/1115862269
「インターネットの出現」ってわりと目にするフレーズだけど、なんか、「ある時突然インターネットなるものが現れた」様なイメージを想起させるのは気のせいか?
実際にはそんなわけはなくて「徐々に発展してきて今の形態になった」のだから、「インターネットの出現によってこれまでの社会とどう変わったのか」という問いは無意味だと思うのだけど。
■ナイーヴ
読書中。「起業の数ほどワナがある。」という内容の本。
内容については読了後に書くとして、タイトルが「Naive Enterpreneurs」なのが気になった。
手元の研究社の辞典でnaiveを引くと、
1 (特に若いために)世間知らずの; 単純[素朴]な; 純真[うぶ]な; だまされやすい.
2 (特定の分野に)未経験な; 先入的知識のない.
3 〈考えなど〉単純な,甘い,素朴な.
という感じ。なるほどあまりいい意味では無さそうである。
Webster(http://www.m-w.com/)で引くと、1番に「素朴な」の意があって、2番に「知恵や判断力に欠ける」の意がくる。
■MADLAX Vol.5 を買った
うーん。コンピュータシステムへの侵入って、小説・漫画・アニメで描こうとするとどうしても判りやすい形になって、それがすごく嘘くさくなってしまって好きじゃない。
攻殻機動隊(漫画も映画もOVAも)では反対に、リアリスティックを捨てて、嘘くささ100倍増しにしてぐいぐいとヴィジュアルで押してくることで、逆にリアリティが生まれているように思う。今のコンピュータシステムの延長上に無い世界を見せられているんだという錯覚を覚えるのだな。
9話のエリノア、メイド服の下に水着って、そりゃ卑怯。(意味不明)
■人間に動物を飼う権利があるなどと考えてはいけない
下で引用したページ。思ったよりも深い論が展開される。
人間に動物を飼う権利があるなどと考えてはいけません。動物を飼うということは、市民としての当然の権利ではなく、結果に対する責任を伴う行為です。最後まで責任を持てないかも知れないなら、「飼ってはいけない」のです。
院長のコラム/アライグマ問題を考える
『最後まで責任を持てないかも知れないなら、「飼ってはいけない」』はよく聞く言葉だけど、『人間に動物を飼う権利があるなどと考えてはいけません』という言葉を枕に出てくるのは初めて見た。
この流れで論を展開すると、『最後まで責任を持てないかも知れないなら、「飼ってはいけない」』の言葉が強い意味を持つ。
この節は頭にとどめておこう。
根絶を目指した行為の行き着く先はおそらく、膨大な費用の恒常化と、それでも駆逐できない事への人間側の敗北感と、さらに重要なのが「命の大切さ」という言葉の信憑性の低下です。
院長のコラム/アライグマ問題を考える
これも、重い。
人間の生活圏を守るという目的で、害獣を薬殺を繰り返す社会の中では確かに『「命の大切さ」という言葉の信憑性の低下』は免れないだろう。
その中で子供達に「命の大切さ」をどう説くか?
「命は大切です」という言葉は真理などではなく、社会の作った共同幻想,約束事でしかない。
でも、この共同幻想が壊れていく社会は見たくない。
■確かにかわいい
写真を見ると確かにかわいい。
WANTEDの文字なんかよりも、畑を荒らしている写真とかが良いのでは?
と思ったが、人間への直接的な被害などもあるらしい。
アライグマはアニメの「ラスカル」によって人気が出た、北米産の動物です。かわいい顔をしていますが、気性は激しく、ペットとして飼い始めて成獣になると手に負えなくなる例が多く見られます。
院長のコラム/アライグマ問題を考える
ラスカルという言葉は“ならず者”という意味です。ラスカルを飼っていたスターリング少年も、小説では最後は手に負えなくなって森に帰します。
で、ちょうど今(?)害獣として指定されようとしているところのようだ。
上で引用したページは、
何より悪いのは、生物としての理解もせずに、輸入をし、飼育し、逃がした人間です。
院長のコラム/アライグマ問題を考える
アライグマを害獣として考えようとするとき、そこには「アライグマは加害者で、人間は被害者」という論理が見えます。
それは間違いです。 本当は、「人間こそが加害者で、アライグマこそが被害者」なのです。
包み隠さず、自分達を正当化せずに、率直にそう述べなければなりません。
殺すとしても、人間はアライグマに謝罪しながら殺さなければなりません。汚名をアライグマにきせ、自分達の正当な行為として殺そうとするのは、人間自身の良心と理性を踏みにじる行為です。
害獣という言葉自体も、もとをただせば、人間が自分達の都合によって、人間の存在と関係なく生きている命に対して勝手に付けた、自己中心的な呼び方です。
と続く。
「害獣」というものについて考えましょう、ということか。