過去の日記

2006-02-13 狗狼伝承 [長年日記]

同名 [etc]

たまたま「自分と同じ漢字でかつ同じ読みの名前」の方のWebサイトを見つけた。
同じ漢字の名前はさほど珍しくないが読みが同じ人は珍しいので、ちょっと嬉しい。
名字も名前も同じ漢字で読みが違う人が、昔fjで活発に発言をされていたので*1漢字フルネームでWeb検索するとその方の書き込みがたくさんヒットするのは余談。

狗狼伝承 [novel]

読まないで放っておいたわけではなくて、出版されていることに気が付かなかったのですよ……。


フラクタルって知ってる?
なら、自己相似性も知ってるね?
自己相似性ってどういう性質だったっけ?
そう。
あるサイズの図形の部分をズームアップすると、元のサイズの図形にそっくりなものが出てくる。
あるいは、その逆も然り。
カメラを引いて、縮尺を小さくしてやっても同じ。
うん。そうだよ。海岸線なんか、判りやすいね。
え? それがどうしたって?
じゃあ本題に入ろう。狗狼伝承っていうのは要するにそういう物語なんだ。
狗狼伝承全体の構造が各巻にそっくり入っている。あるいは最後の巻――いや最終章と呼ぼうか――最終章にそっくり投影されているんだ。それ以前の章も含めて、全体に組み込まれていた仕掛けが、この最終章のピースを成す様になっている。
あるいは、時念者も狗狼もその他のどんな脇役もそれぞれが同じ構造の中に組み込まれている、そんな物語なんだ。
え? 違う? あぁそうだったね、脇役なんてこの物語のどこにもいないんだったね。高野君が最終章でこう、心で呟いていた。「あいつらが誰かの脇役じゃないって、どうして断言できる? あいつらの運命が、誰かのあやつった結果じゃないって、どうして分かる? 戦ってるやつらだけが主人公だって、どうして言える? 見つめてるやつが主人公じゃないなんて、なんで言える?」ってね。
で、なんだっけ?
そうそう、どんな登場人物も同じ構造の中に組み込まれているって話しだ。
(ここでニヤリと笑って)でもねそれは正しくないんだ。高野君の台詞をもう一度読み返してごらんよ。
分かるかい?
「あいつらが誰かの脇役じゃないって、どうして断言できる? あいつらの運命が、誰かのあやつった結果じゃないって、どうして分かる?」という言葉だよ。
そうさ、周防くんや詩乃ちゃんの運命は、正真正銘新城カズマという小説家が運命をあやつった結果なんだよ。そうだろう?
じゃ、次の台詞だ。
「戦ってるやつらだけが主人公だって、どうして言える? 見つめてるやつが主人公じゃないなんて、なんで言える?」
こう言い換えてみるといい。「この物語の登場人物達だけが主人公だって、どうして言える? 見つめてるやつが主人公じゃないなんて、なんで言える?」さぁ、どうだい!(とここで大げさに両手を広げて)この「見つめてるやつ」が誰のことだか分かるかい!? 狗狼伝承という物語を「見つめてるやつ」、そうさ、僕や君も含めてこの物語を読んだ全ての者が彼や彼女の物語の主人公だって、そう言ってるんだ!
だからこの物語はフラクタルだって言ったんだ。
この物語の枠をもう一段高いところから見つめれば、この物語は「君たちもまた主人公なんだ」って、そう言っているんだ。ま、もっともそれは同時に僕や君やあるいは新城カズマも含めて、運命をあやつっている誰かがいるかもしれいってことでもあるけどね。
ところで、エッシャーの絵を見たことがあるかい? 「爬虫類」は? 「昼と夜」は? 二つの手がペンを持ってお互いがお互いを描いている「書いている手と手」は?
それらのモチーフは新城カズマを読み解くのに大きなヒントになるんだよ。
ま、そのへんはどうでもいいことだけどね。狗狼伝承という物語との間に縁があったこと。それは本当に喜ばしいことだと、そう思うんだよ。
僕はね……。


天涯少女・シノ―狗狼伝承 (富士見ファンタジア文庫)

  • 作者: 新城 カズマ
  • 出版社/メーカー: 富士見書房
  • 発売: 2005-11
  • ASIN: 4829117737
  • メディア: 文庫
  • amazon.co.jp詳細へ


追記 08/07/15
冒頭部分、フラクタルと自己相似性に関する明らかな間違いを修正しました。
一応書いておきますが、文中の「僕」は私自身で、あえて「対話文形式の片方のみを取り出した」ような(そして新城カズマの小説に出てきそうな雰囲気の)文体で記述したものです。

[はてなブックマーク参照]

小中学生向けの本に無断リンクはなんと書かれているか? [book]

土曜日に図書館の児童書コーナーにいた。
ちょうど目に付くところに総記の棚があったので眺めてみる。

パソコンらくらく入門教室〈6〉パソコンの、マナーとルールのはなし!

  • 作者: 石川 徹也,臼井 理栄
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売: 2005-03
  • ASIN: 4652048564
  • メディア: 大型本
  • amazon.co.jp詳細へ

という本があった。


p14

またウェブページに「リンクお断り」と書くのも意味のないことです。見られたくない、見られてはまずいものは、インターネットに公開しないようにしましょう。

うむ。
あたりまえのことが書いてある。
だけど多くの*2学校のサイトでは「あたりまえのことではない*3」んだよなぁ。
こういうことの啓蒙にオーソリティを持ち出すのは手段としては下だけど、でも小中学生向けの本にこう書いてあるというのはちょっと安心である。
さて、学校図書館にこの本が入ったとして、「この本にはこう書いてあるんだけどこの学校のホームページ*4には校長先生の許可が要りますって書いてあるのはどうして?」と児童生徒に尋ねられたら……、どう答えるつもりなのでしょうかね?


ま、もっともその右のページに、大意として

ダイレクトリンクはマナー違反。
ダイレクトリンクは窓から部屋に入るようなものです。

というようなコラムがあってこれには「んー?」と思ってしまった。
ま、個人サイトならそれもマナーと言えばマナー。


考え直してみると、リンクと引用ではまたマナーが異なるのかな。
「サイトとサイトを」リンクする時にはダイレクトリンク(以下、ディープリンク)はマナー違反かもしれない。
発言・著述の引用のためのリンクの時にはディープリンクをマナー違反とは言わないだろう。それは著作権法上の正当な引用で、そのための手段としてのディープリンクは正しいと思う。


追記
その他の本の話。

prima materia - diary : 児童向けのインターネット関連の本

学校・教育委員会 ネットリテラシーの話。

summary.html#school

*1 所属や本名をヘッダに入れるのが普通だった牧歌的な時代の話。

*2 本当に「多くの」なのかは判らない。この評価は単なる印象。

*3 http://materia.jp/blog/20050725.html#p04 参照

*4 普段は私は「サイト」で通しているのだけど、誰かの発言を想定しているのでここでは「ホームページ」。