2008-10-09 [長年日記]
■巫女の民俗学
「巫女さん萌え〜」の巫女ではない。
表紙から引用。
口寄せを通して死者と生者の「いのち」を結ぶ盲目の巫女オガミサマ。民族社会で形成された巫女の習俗=民間信仰が近代の歴史的文脈の中で変容していく過程をたどり、巫女の個人史もつむぎながら、その社会的・文化的な意味を解読する。
つまり「憑坐(よりまし)」としての巫女である。
といっても勘違いをしてはいけない。
「それは確かに巫女かもしれないけど、神社にいる巫女とは別でしょ?」というのは正しくなく、東京近辺でこそ「神社にいる巫女」をミコと言っていたのだけど、地方によっては逆であったりする。柳田國男は「巫女考」の中で京阪地方、常陸、土佐を挙げている。この本でも「晴眼の巫女は、東北地方全域で、おおよそカミサマ、ハヤリガミサマ、あるいは先生などと共通して呼ばれている。」とある。
巫女という言葉は今よりも意味が広かったのだ("遊女"としての巫女もあるしね)。
この本では特に東北地方の巫女を取り上げていて、実際にフィールドワークとして話を聞いて回っている。
その期間は「十数年にわたる」とあとがきに記されていて、つまりそれが表紙に「巫女の個人史もつむぎながら」と出てくる所以であろう。
巫女になるにあたっての通過儀礼なども書かれていて、潔斎から水垢離などの過程など、非常に真剣で過酷なものであることが分かる。そうでなければ通過儀礼たりえないので当然といえば当然。
最初に引用した文に「盲目の巫女」とあるように、盲人の社会ネットワークと無縁でないわけで、本当ならここで座頭などの史料を併せてあたるべきなのだけど……あまり深入りはしないでおこう。
巫女の言葉をそのまんま表音文字として仮名化して書いてあるので、東北弁ネイティブな私は問題なかったけど、他の地方の人が読むには大変そう。
もちろん、史料としての意味を考えれば当然の選択ではあるが。
「巫女の民俗学」というタイトルではあるけれど、民俗学の本というよりも、民俗学のための史料という雰囲気の方が強い様に感じた。
巫女たちが経験してきたこと巫女たちが語る言葉を遺すために──。
■なんで座頭一?
上のエントリを書いている最中に気がついたこと。
"座頭市"で検索してみても"座頭一"と書かれているページ多すぎ。
"座頭の市"。
直截には"市という通り名の座頭"という意味のはず。
で、隠喩として"座頭の一"つまり"座頭組織の長*1*2"に引っかけて、"孤高の座頭"であることを示していると思っていたのだけど……。
調べようとしても"座頭一"の検索にノイズが多すぎてその辺が分からなかった。
これって「集合痴」の好例じゃなかろうか?
追記
「座頭一」って書いちゃうことを非難しているのじゃなくて、間違った情報がある程度集まっちゃうと検索エンジンなどを通じて広まってしまう今の構造って結構困るね、という話だ。
■PS3「リトルビッグプラネット」のステージ作成で計算回路を作った人あらわる
という話。
via
物理シミュレーションとしてすごいのだけど、「その中で自由に動けます」って部分をゲームとして楽しめるかというとそれは人それぞれ。
私は楽しめない。ということがβユーザに当選して分かった……。つまりほとんどプレイしてない。すみません。(誰に謝ってる?)
でも物体の質感とか、動きとかは本当すごいと思う。
で、本題。
物理シミュレーションを使って、計算機──というよりも回路といった方がいいと私は思ってそういうエントリタイトルにした──を作ったという人がでてきた、と。
仕組みが分からない向きは、
あたりをどうぞ。
■呪禁師は医者なのです
ふと気になって戦国霊異伝を見直してみたら「本来は陰陽師は呪医でした」って書いてある。
むむむ。これ、俺が書いたのか?
他の人が書いたのか、誰かの受け売りで自分が書いたのか。
……文体は自分のものっぽいな。でも自分の知識ではなさそうだ。
そのへんはどうでもいいことだけど、これは間違ってる*3ね。
医者なのは呪禁師だ。陰陽師じゃない。