2008-05-11 [長年日記]
■ソーシャルメディア信仰
信仰……。あったか?
(BK1内容紹介)
ウィキペディア日本語版、その運営は謎に包まれている。編集や管理など、ウィキペディアにまつわる疑問を明らかにし、さらにはソーシャルメディアが抱える問題に切り込んでいく。
「運営」が曖昧。
■ゲームになった映画たち
っていうか、欲しい!
↓詳細
CINEMA TOPICS ONLINE|世界初!史上初!業界初!「映画×ゲーム」融合の研究解説本「ゲームになった映画たち」
気になるものごく一部を挙げると……。
死霊のはらわた/ブレードランナー/13日の金曜日/エルム街の悪夢/サイコ/ハロウィン/悪魔のいけにえ/ミディアンデスパレートな妻たち/ダヴィンチコード/アラクノフォビア
一体どんなゲームが!?
ウィローのファミコン版が好きだったわー。載ってるかな?
■シュレディンガーのチョコパフェ 読了
すごいね。「虎よ! 虎よ!」を読んだのが先月で、そのおかげで、この本の「奥歯のスイッチを入れろ」がより楽しめた。
元々の書名である「まだ見ぬ冬の悲しみも」が一番よかったか。
基本にあるアイディア以上に料理の仕方が上手。後書きに書いてある、技巧的な部分も納得。
同じアイディアを持ってきてもあのストーリーが作れるのは、山本弘だなぁ。面白い。
人工無脳の話とかしてたら、先に読んでいたカミさんが「7%のテンムー」を出してきた。その場でざっと読んでみたけど、人工無脳の面白さはそこにはないぞー、とか思った。
あ、テンムーは天然無脳の転ね。
■何をもって人工無脳とするか
上のエントリの続き。
最近ようやっと自分の時間なんてものができて、人工無脳に関する色々を読んでいたりするわけだが(「虎よ! 虎よ!」の件といい、なんでこんなに読む本とタイミングが合うのだろう?)、「7%のテンムー」にでてくる人工無脳に関するイメージとは違うんだよなぁ。
「7%のテンムー」のテンムー、すなわち天然無脳とは何かというと、
p327
普通の人間と同じように思考するが意識を持たない人間。ロボットのようにプログラムに従って動いているだけでその脳の中には〈私〉という概念がない。
学習はできるが、創造性に劣っている、というわけ。
それが人工無脳をイメージさせ、天然無脳となり、やがてテンムーと略される。
「プログラムに従って動いているだけ」なのはその通り。けど「学習はできるが、創造性に劣っている」というのは、人工無脳にはあまり当てはまらないのだ。
なぜかという、「過ぎた学習を行ってしまったら面白くなくなる」のは既知の問題だから。
同じ言葉をかけると同じ反応しか返さなくなる、という状態に陥ってしまってはつまらない。
そのへんをどうやって回避するか? ってのが人工無脳(を作ること)の面白さなのだ、という次第。
適度にランダム性を加える、とか結局はプログラムを作る側の工夫になるわけで「プログラムに従って動いているだけ」という部分は決して変わることはないのだけど、しかしパラメータや辞書の調整という職人芸的な領域もまた人工無脳にはあって逆にそこにこそ楽しさがあったりして。そのへんがスポイルされているのが気になった。
が、大多数の人にはどうでもいい話だよな。