過去の日記

2007-05-30 [長年日記]

教室の悪魔 を読んだ [book]

教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために

  • 作者: 山脇 由貴子
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売: 2006-12-21
  • ASIN: 4591095940
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • amazon.co.jp詳細へ

大抵の場合、読んだ本のことをここに記すのは、あとから振り返ってみるために残す自分の足跡としたいからだ。
でも時として、そうではないものもある。
この本がそうだ。
(とはいってもそれは動機だけの話で書いていることは普段と違わないのだけど)


"いじめ"についての本。
この本のことを知ったのは「日経ビジネス」の筆者インタビュー。
「子供は無力です。いじめは大人だけで解決しなければなりません」という言葉が印象に残る記事だった。

類書を読んだことがないのでこの本の善し悪しは判断できないだろう。
それでも、この本は信じるに足ると思った。
いくつかの点で、カルト=マインド・コントロールとの類似点がある、と感じたから。
そちらならば古くから馴染みの話題だ。とはいっても、その方面の話はやめておく。


この本、テキストの分量は多くない。
Amazon の商品説明に「1時間で読める」とあるが実際そのぐらいの時間だろう。
──平静に読めるなら。


第一章では事例を紹介する。
ここでは理想的な解決までが描かれる。

悲惨ないじめが続く中で、最初に希望の在り処を示したかった。

と序文で書かれている。
それも確かだが、親としてしてはいけないことは何か、それがまずこの章で示されている。

第二章も事例の紹介で、様々ないじめのパターンが挙げられる。
「いじめのメカニズム」がいかに外から見えにくいものか、という点に注意して読みたい。

第三章は短い。加害者つまりいじめる側の心理についての解説。

第四章でもっとも重要な、親としてどうするべきか、子どもとどう接するべきか、という点を書いている。
第一章で示された理想的な解決を受けており、とても具体的である。


あえて書くまでもないことの様に思うが、「いじめられる側にも問題がある」などいうのは間違いだ。
それは頭では解っているのだが、本書を読んで気づかされたことがある。
自分の子どもがいじめにあった(ことが判明した)時に「自分の子どもにも何か問題があったのでは?」と一瞬でも考えたりしないと自信を持って言えるだろうか? そんな態度や言動を、子どもの前で一瞬でも見せたりしないと言えるだろうか? ということだった。

さてそれでは、いじめの原因はいじめる側にあるのだろうか? といえば、それもまた違うと本書を読んで思う。
いじめの原因・理由は、いじめの過程で醸成される。プロセスの中に織り込まれてしまっているのだ。
第一章の事例の中で、給食の中にゴキブリを入れられるという話がでてくる。
そして、

p41
いじめられるに値する、いじめられても仕方ないという理由を作り出している。ゴキブリの入った給食を食べた、(略)"汚い奴"。その状況を作り出しているのは自分達だということは、なかったこととして。

p99
恐ろしいのは、被害者がいじめられる理由は加害者達によって作られたものにもかかわらず、作り出した加害者達が、自分達が作ったフィクションだということを忘れてしまうということである。


これを子どもの未成熟な精神ゆえの自己欺瞞であると断ずることはできない。
因果の逆転。
陰惨な事件が起き、容疑者が判明したとき、"素顔"とか"過去"という言葉がワイドショーを飾る。

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

  • 作者: 浜井 浩一,芹沢 一也
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売: 2006-12-13
  • ASIN: 4334033814
  • メディア: 新書
  • amazon.co.jp詳細へ

p126
ここで語られるのは悲惨な人生の軌跡が、ある人間を否応なしに殺人者にしていったという牧歌的な物語ではない。殺人者は社会の犠牲者ではもはやないのだ。そうではなく、いかに初めから宅間は殺人鬼だったのかということが、次のようにその生活史の中で確認されていくのである。


「犯罪不安社会」を引いたのはほかでもない。
「犯罪不安社会」の3章"地域防犯活動の行き着く先"で書き出された、

そうした社会は犯罪に強いどころか、以下に見るように社会的弱者にきわめて不寛容な社会である。

という結論に通じるものを感じた。

いじめの構図を加害者(達)と被害者という対比では語ることなどもうできないのではないか。
いじめのさなかでは"全"対"一"という関係になっていて、なぜいじめるのかと問えば"全"からはみだしたからだ、ということにしかならないのだろうと、そう思った。

だから、子どもたちだけではいじめは解決できない。

p116
現代のいじめの加害者は特定個人ではなく、被害者以外は全員加害者である。

p118
誰が何をしたのか、個々に子どもに聞くことは、意味がない。そんなことをすれば、みなが保身に走り、他人に責任を押しつけ、自分のせいではないと主張し、当事者意識がなくなってしまう。

p120
親として子どもに伝えるべきことは、いじめがあったということを知った、全員が加害者であったと理解している、今後はいじめをなくすための取り組みに、クラスの保護者全員で取り組んでいくという、大人の認識と姿勢である。
(略)いままでまかり通っていた嘘や良いわけが通用しなくなる、と思わせることが重要である。

これが、冒頭に書いた筆者インタビューの言葉、「子供は無力です。いじめは大人だけで解決しなければなりません」の真意であろう。


それを確認できたことは良かったと思う。
Amazonのカスタマーレビューにもある言葉ではあるが、もっと売れてもらいたい、もっと多くの人に読んでほしいと、珍しくも思った希有な本だ。

書評なんて書けないわ [etc]

404 Blog Not Found:書評 - アルゴリズム・サイエンス (入口|出口)からの超入門

で弾さんが、「アルゴリズム・サイエンス:出口からの超入門 (アルゴリズム・サイエンスシリーズ 2―超入門編)(岩間 一雄)」の書評を書いておられる。


私が前に書いたエントリ、

アルゴリズム・サイエンス 出口からの超入門

を今読み返してみると、全然書評の形になっていないことが(弾さんの書評を読んだことで)よく判る。

上のエントリで書いたとおり、書評を書いている気なんてない*1
自分が後から振り返ってみるために、書き残しているだけだ。


ま、良い本が名の通った人の手で紹介されるのは、良いことだよな。

楽園ヴァイオリン を読んだ [novel]

楽園ヴァイオリン―クラシックノート (コバルト文庫)

  • 作者: 友桐 夏
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売: 2007-04
  • ASIN: 4086010208
  • メディア: 文庫
  • amazon.co.jp詳細へ

読み終わって考え直してみると、話の筋らしい筋がない。
キャラクターの魅力?
いやいや、この人の小説の登場人物はみんな、何かを隠していて本当はどんな人なのか判らないように進む。(でもそれって、現実ではとても「当たり前」なことなんだよね)

では何が惹きつけるのか。
この人の本が出たら買ってしまうのはなぜか?
それは日本語の力。
言葉の力。
物語の力もキャラクターの力も必要としない、そんな力。


白い花の舞い散る時間 (コバルト文庫)(友桐 夏/水上 カオリ)」と「盤上の四重奏 〜ガールズレビュー〜 リリカル・ミステリー (コバルト文庫)(友桐 夏/水上 カオリ)」の世界の話。
舞台は「盤上の〜」と同じ"『特別』な才能を持った者だけが入れる『特別』な塾"。
ネタバレ同然に書いてしまえば、今回派手などんでん返しも無ければ度肝を抜く叙述トリックも無いし、すらっと読めてしまって、でもつまらなかったかと問われればそうでもなく(それなりに短い日数で読んでいることからも確かで)、さてどう評価したものかと困ってしまったり。

次の作品も買って読むだろうな。

*1 そうはいいつつも、あのエントリを書いた頃は、自分に「書評」か書けるかチャレンジしていたっけなぁ。