2007-02-01 [長年日記]
■統計をとる、って言うなー!
最近類書を読んだり、Excelで実際にデータを加工することをしてみたりしているわけだけど、「統計をとる」という言い方には問題を内包しているなぁ、と思ったりしているわけで。
- 母集団、収集するべきデータを決定する
- データを収集する
- 統計処理を施す
日常的には、大体この3つのフェーズをひっくるめて「統計をとる」と言っているような気もするし、けれど多くの人は「データを収集する」の意味でしか捉えていなような気もする(これについては妄想)。
データを収集するには確かに政府機関などある程度の権力(Power)が必要なんだけど、その前の「母集団、収集するべきデータの決定」やその後の「統計処理を施す」部分はそれとは関係なく、統計処理に対する理解度とか、意志決定に歪みがない(なんとも曖昧な表現だけど勘弁……)とかそういう能力が必要。
この2つをバランス良く兼ね備えた組織を作る、育てるってのはすごく難しいような……。
交通事故の死亡件数が年々減少しているという統計があるけど、ここでいう死亡事故は「24時間以内に亡くなった事件」という定義なので、「救急医療の技術や体制の向上」からの相関があるので注意してほしい。
というようなことを免許更新時の教習で聞いた。
同じ話は、
やその類書によく出てくる話なんだけど、じゃあなぜ「死亡事故の定義を改めないのか」といえば……、やっぱりそこは「意志決定の軽快さに欠けるんじゃないの?」ということになってしまうんだろうなぁ。
本題。「統計をとる」って言葉が日常のビジネスなんかの会話にぽっとでてきたら、それってどういう意味? 母集団は? どういう分布を想定しているの? どういう指標を使うの? と相手に質問してみたり自問するのが吉。
■Java1.4以降はデフォルトパッケージのクラスをimportできない
Java1.3.x で時間が停止しているので知らなかった〜。メモ。
JDK1.4以降ではデフォルト・パッケージのクラスをインポートできなくなった
http://q.hatena.ne.jp/1170258562
■無限の果てに何があるのか
新入生に向かって極限の定義を教えるとき、きまってここで、人類の歩んだ無限に関する苦闘の長い道のりを思いやって感動を覚えるのであるが、そういう歴史を知らない学生のほうは、たんにむずかしい話を聞かされたという気分にちがいない。歴史を知る喜びは、それらの出来事を追体験できることにある。
p216 より引用。
この本を読む価値、読む喜びが、端的に表現されていると思う。
無限に関する苦闘の、長い道のりを追体験する。その喜びが、この本にある。
実のところ、初めて聞く話は、そんなに多くなかった。「知る喜び」ということで言えば、それほど大きくはない。
でもこの本は読んでいて面白かったし、そして楽しかった。
なぜか?
ここにストーリィがある。ドラマがある。
当事者たち――往年の数多の数学者たち――にしてみれば、ふざけるなという話かもしれないが、けれど「歴史」というのはそういう性質を少なからず持っているのではないか?
源義経、織田信長や明智光秀ときて坂本竜馬……。彼らの生き様に見るのと同じように、カントールやヒルベルト、ゲーデルといった数学者に――その生き様にストーリィやドラマを見たっていいじゃないか、などと、思ったりしたのだった。