2007-12-05 [長年日記]
■なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? 読了
あー時間がかかった。
人の名前が横文字だからか?
やっぱりミステリ(なのかどうかはちょっと疑問があってこれは冒険小説って言った方がいい気がする)としては古典に俗するものなわけで、展開が最近のミステリに比べてゆったりとしているからか。
主人公はゴルフの最中に崖下に転落した瀕死の男を発見する。そして、一言だけ告げて、息を引き取った。
「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」
その言葉の意味を追って主人公とヒロインの探索と冒険が始まるのであった。
という What's happend? もの。
3分の2を過ぎたあたりから面白くなってきて、一気に読めた。さすがはアガサ。
■サービスの終焉という決断・永遠のβバージョンはもちろん永遠ではありえない
運用のフェーズと実験のフェーズでは、割り当てるべきリソースの量も特性も違う。
開発者の立場として考えるに、RUPにも移行フェーズがあるのも当然で、どこかで「運用する人」に引き渡す必要がでてくるわけだ。
新しい手法をテストすることはできても、運用フェーズに持ち込むためには定常的なリソースを確保することが必要になる。それは周囲の協力や合意であったり、予算であったり、人であったりさまさまであるが、個人の力に頼らず、組織として、業務として運用しなくてはならない。特に人的リソースは減少している。時には枝葉を剪定して、全体のバランスを取ってゆくことも必要なのかもしれない。
図書館退屈男: サービスを終了させる、ということ。
さて、ちょっと前――っていうかこの業界ではどのぐらいが「ちょっと」なんだろう?――に「永遠のβバージョン」てなフレーズがWebに顔を出していた。
開発者=運用者でいられる蜜月が「永遠のβバージョン」で、その終焉として2つあって、「運用者に引き渡す」のが晴れてβの文字が取れる時で、もう一つが「開発を停止する」ということなんだろうな。
「運用者に引き渡す」フェーズがないままに「開発を停止」しても運用は続けられるけど、運用にかけるリソースがないわけだからいずれは停まる、と。
■「パターン」って……
日常でつい、「一体どんだけのパターンがあるんじゃ〜」とか叫んでしまうけど、この場合の「パターン」は「組み合わせ」の間違いなことが多くて――例えば「A項目が10パターンでB項目が5パターンでC項目が3パターン」だと 10×5×3 で全組み合わせ数が150なわけで、この「150」「全組み合わせ数」を指してついつい「パターン」という言葉を使ってしまうことがあるなぁ、とか思った。
■極上のおもてなし
うーん。残念。
リッツカールトンのマスコミへの露出にあわせた浅い本、という認識を持ってしまった。
ただ、読み口は軽く、すいすい読める。何度も何度も読み返して書かれていることを「感じ取る」という、そんな読み方をするべき本なのかもしれない。
ハッとさせられたのは、
p118-9
フロントで呼び出してもらってしばらく待っていると相手がやってくる、というのと、あらかじめ相手が玄関で待っていてくれるのと、どちらが好印象か、いうまでもありませんね。
確かに、いうまでもない。
ビジネスビルに入っている会社なら、玄関というわけにも行かないだろうが、「受付まで」とあらかじめ話をしておいて、ちゃんと受付で待っている、というようなことをすれば確かに印象はよい。
あと面白いな、と思ったのは、若いうちから「おもてなし」精神を養おう、というくだり。
p130
若い方は、自らおもてなしをすることとは、あまり縁がないかもしれません。しかし、だれしもいつかはおもてなしをする年齢になります。(略)むしろ若いときの方が恥をかいてもゆるされますから、どんどんチャレンジしてみましょう。
そう。
ここ何年か、法事などが毎年あって実家に帰ったりしてふと、いつかは自分が呼ばれる側ではなくて呼ぶ側になるんだな、と思ったりしたのだ。
日取りの調整から、準備などなど。それもまた経験。
会社などで歓送迎会や忘新年会の幹事を若い者にやらせるのも、単なる慣習じゃなくてそういうことを企画し実行するよい機会だから、という意味もあるのかも。
なんせ参加するのが顔見知りなわけだから、少しぐらい失敗しても許される――と、そういうことなのかもなぁ。