2008-08-07 [長年日記]
■七夕祭りのモチーフたち
仙台は七夕祭りの真っ最中。
通勤に邪魔だったりして生活している人たちには何かと不評な七夕飾り。
笹に短冊は全国共通として、仙台七夕祭りで見られる他のモチーフを揃えてみた。
吹き流し。これはとにかく目立つので──というか道路にこれでもかというほどあるので誰もが知っているだろう。
鶴。これもたくさん目にする。
でもそもそも「おめでたい」とされるものだから違和感を持たないかも。
上の写真の右端に写っているのが……、
「紙衣」と「巾着」。
「屑籠」と「投網」。
右側の赤いのが屑籠。右側の水色が投網。
投網の方は、特に仙台特有というわけではない。そうと意識していないかもしれないが七夕には飾っているはずである。
気をつけてみてみれば、至る所にこれらが飾られている。その由来について書かれた紙も、置いてあったりする。ぶっちゃけただ見るだけでは全くつまらない祭りなので、そういう捜し物をしながら歩くといい。
さて。
「籠」や「紙衣」の裏の意図は──、
で語られている(それが「ほんとう」かどうかはさておく)。
七夕にまつわる物語は、その頃には雨が降って川が増水して、牽牛と織女は会うことが出来ないという話である。
だから、「七夕にはよく雨が降る」というのはじつは「当然」なのだけど……。
今日は快晴で、とても暑い。
(追記)
七夕に牽牛と織女が会えないのは天の川が増水しているからであって、地上が晴れていようと雨が降っていようと関係がない。
地上で雨が降っていれば「会えない」と思うは現代の人間も同じ。
晴れて天の川が綺麗に見えた時には「あぁ、天の川が溢れている。今年も会えなかったのだなぁ」と昔の人は思ったわけ。
前出の本に書いてあるのだけど、和歌には「七夕に二人が会えない」という内容のものばかりだそうだ。
それも当たり前で、「七夕の時期には天の川が綺麗に見える」というのは「七夕の時期には天の川は氾濫している」わけで、「一年に一度、七夕の時だけ会っていい」という命令はとりもなおさず「二度と会ってはいけない」が真意である。
しかし現代の都会では天の川など氾濫しているようには見えない。、むしろ現代になって、ようやく二人は会えるようになったのかもしれない……。