過去の日記

2011-08-04 [長年日記]

ラスト・ホラー・ムービーを見た [movie]

DVDをレンタルショップで見かけた。知らない映画だった。でもメタホラーの香りがするタイトルだけで借りる気になった。

ラスト・ホラー・ムービー [DVD]

  • 監督: ジュリアン・リチャーズ
  • 出演: ケヴィン・ハワース,マーク・スティーヴンソン,アントニア・ビーミッシュ,ジョナサン・クート,リタ・デイヴィス
  • 出版社/メーカー: マクザム
  • ASIN: B000S0LD08
  • 発売: 2007-08-31
  • amazon.co.jp詳細へ


まず、この映画はスラッシャー映画である。

「典型的」ホラー映画っぽいシーンから始まる。
が、唐突に男の映像に切り替わる。男はカメラに対して語り始める。
この男は「語り手」である。
淡々と自分の行為を語る。自分の行為の記録を(ビデオにインサートする形で)見せる。
今見ている映像は、つまり、この男の行為の記録と、独白とを編集したものであることが分かる。

この男は「殺し手」である。
サイコパス。
この男は他人を殺す。そして殺すことを当然のことだと思っている。
そこに理由はない。


この映画はフェイクドキュメンタリである。

この男は他人を殺す様を記録し続ける。
なぜそんな記録を残すのか。
そこに美学のようなものはあるようだが、浅い。戯言と言ってもいい。
フェイクドキュメンタリとしての体裁を整えてはいるものの、凄味の様なものはあまりない。
しかしその記録を目にしている者に、ある刃を突きつける。


この映画はメタ・スラッシャー映画である。

なぜお前はこんな映画を──人が人を殺す様を記録した映像を見るのかと問いかける。
スラッシャー映画が存在する意味。スラッシャー映画を見る意味。
それをこの映画は問いかける。
だが、それも、決して深くはない。まだ浅い。
しかし面白い。
スラッシャー映画が「お前はスラッシャー映画を見て面白いのか? お前もこの俺と同じような人種じゃないのか?」と、サイコパスの口を借りて問いかけてくるという構図は、なかなかに奇妙で、面白い。


この映画はホラーである。しかし、メタ・ホラーの域をでないことも事実である。

「ビデオレンタル店に置かれているホラー映画のビデオテープ*1に、あるサイコパスの記録を上書きしたものである」という体裁を取っている。
この映画のオチはその体裁の上に成立する。
オチは悪くない。
途中で薄々気がついてしまうだろうが、それでも、なるほど! と思わせてくれる。
ラスト・ホラー・ムービーというタイトルの意味も──劇中の体裁で言うなら、男が、なぜレンタル店に並んでいる中からラスト・ホラー・ムービーというタイトルのビデオをわざわざ選んだのか? ということになるが──悪くない。
だが、残念ながら、この映画を「映画館で」あるいは「DVDで」あるいは「日本で」あるいは「日本語字幕や吹き替えで」見てしまったら、体裁は一瞬にして吹っ飛んでしまう。
もし「この男」が実在であったなら、それは間違いなく現実世界における「ホラー」である。
一瞬でも、「この男の実在」を感じさせたなら、この映画は間違いなくホラーだ。
しかし、体裁とメディアが噛み合ってない。国が合ってない。
ホラーではなく、メタ・ホラーとしてしか見られない。

だから、惜しい。
舞台が日本で、ビデオで、無名の役者で、完全にフェイクのパッケージで、これと同じ体裁の映画を見たならさぞ怖かったろうに。

アイデアはよかった。評価できる。


とはいえ……こういうメタ的性質を持った小説ならば、いくつも知っているのだけど。
いや、やはり、それを映画でやろうという発想に拍手するべきだろう。

*1 ビデオレンタル店に置かれていたテープでも上書き防止用のツメの上にテープを貼るなどすれば、簡単に上書きできたことを知っている年齢じゃないとちゃんと分からないかもしれない。