2012-06-03 [長年日記]
■人が死なない防災 を読んだ
個人的には東日本大震災前、2010年7月の釜石高校での講演が非常に興味深かった。
例によって例のごとく、印象に残ったところを抜き出してメモにしておく。
関連する記事はWeb上にもいっぱいあるので、ブックマークやメモから抜き出していくつか並べておく。
じゃあ、お母さんも逃げる。あとで必ず迎えに行くからね | 編集長コラム | 北海道住宅新聞社-日本の「家」を導く情報企業
正直に言うと概略をつかむだけならこれらの記事でも十分。
だからこそ逆に、大震災以前にどのような話を子どもたちにしていたのか、その生の文章が採録されているところに興味を持ったわけだ。
p46〜48
田老や釜石など東日本大震災で被災した地域は、「想定外」だったから被害を受けたわけではありません。また、「想定が甘かった」わけでもありません。そうではなくて、「想定にとらわれすぎた」のです。
(大きく略)
ハザードマップと死者行方不明者の分布を重ねた図を示して、
ハザードマップの浸水想定区域を境に、外側の人が亡くなっているのです。
(略)
三月一一日に襲ってきた津波は、ハザードマップの「想定」をはるかに超えるものでした。その結果、亡くなってしまったのが浸水想定区域の外側にいた方々です。まさに「想定にとらわれすぎた」がゆえの悲劇だと思うのです。
このような問題をどう解決していくのか。どう理解を正していくのか。これが、防災教育を行っていくうえでいちばん重要なポイントであると、私は考えています。現在の日本の防災が陥っている、最も根深いジレンマがここにあるからです。
おそらく、この部分がこの本の主題。
孫引きになるが以下の内容はこの本にもでてくる。p92あたり。
そして、最後の授業はたいてい参観日でした。裏番組で保護者会をやっていました。そこで、お母さん方に「今日子供たちは家に帰ったら、『ボク絶対逃げるから』と一生懸命言うはずです。今日は、子供たちと正面向かって、ちゃんと話を聞いてやってください。子どもはお母さんに聞いてもらえないと、心配しますから。『ボクはちゃんと逃げるから、ボクはちゃんと逃げるから』、お母さんが信じてくれないと絶対お母さんが(迎えに)来ちゃうと思っているから、子供たちは一生懸命そう言いますから、ちゃんと聞いてやってほしい」。
じゃあ、お母さんも逃げる。あとで必ず迎えに行くからね | 編集長コラム | 北海道住宅新聞社-日本の「家」を導く情報企業
そして、子供たちが絶対逃げると確信を持ったときに、こう言ってください。「わかった。わかった。ちゃんと逃げるのだよ」ということと、「じゃあ、お母さんも逃げる。じゃあ、お母さんも逃げる」。このひと言を言ってやってほしいのです。そして最後に「あとで、必ず迎えに行くからね」と付け添えてやってほしい。
そのすぐあと。
p94〜95
つまり、「津軽てんでんこ」の教えとは、一人ひとり逃げろ、ということだけではなくて、「津軽てんでんこが可能な家庭たれ」ということにほかなりません。
この部分も印象的。
p117
二〇〇四年一二月二六日にインド洋津波というのが発生して、そのときにはなんと二三万人が亡くなりました。(略)津波はインド洋のビーチリゾートの近くであったので、当時現地にいた多くの方がカメラやビデオを持っていて、たくさんの映像が残っています。鮮明な映像や写真が撮れたのは、このインド洋津波が初めてといっていいぐらいです。
東日本大震災が今までの津波被害と決定的に違うのは、携帯電話やデジタルカメラなどで動画撮影する能力が行き渡っていたために「湾から入り込んでくる津波がたくさん映像に残った」ことなんじゃないか、なんていう話をちょっと前にカミさんと話をしていた。
以前も書いていたけど、2004年の津波の映像は気にして見ていて、
や、
などで今も見ることができる。
ただし筆者は「脅しの防災教育は間違いである」と書いていらっしゃる。
こういった映像などを示して「だからちゃんと逃げないと津波の犠牲になって死にますよ」という教え方は駄目だ、ということ。
たくさん映像が残ったことにも善し悪しがあるのではないか、とも思った。もちろん研究をする上では大事だけど。
p161〜163
大災害があると、よく「風化」という言葉が聞かれます。
(略)
「風化」という言葉を『広辞苑』で引くと、最初に出てくるのは「徳によって教化すること」とあります。つまり「教えとなすこと」なのです。大きな災害を経験する。そこで学んだ教訓がある。その教訓を脈々と後世に伝えていくこと。そして、その教訓が当たり前のこととして、地域みんなの心の中に広く備わったときに、本当の意味での「風化」が起こります。
残すべきのは、記録でも、資料でも、知識でもなく、経験から学んだ教訓。多分、それを人は歴史と呼ぶのだろうな。